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★ 『1Q84』  ★追悼 ロバート・b・パーカー [出版/寄稿/レクチャー/取材 etc.]

『1Q84』   村上春樹 (2009.5.30 新潮社)

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 やっと読み終わった。
   −−−−しょっぱい記憶とともに、あの頃が甦ってきて、読了まで時間がかかった。

 ・風の歌を聴け (1979年『群像』6月号)
 ・1973年のピンボール (1980年『群像』3月号)
 ・羊をめぐる冒険 (1982年『群像』8月号)

   ★ここまでは高校生。
    なぜかハードボイルド?な気分で読んだ。
    このころ小説に出てくるキーワードは
    「腕立て伏せ」
    「数量化すること」
    「ねずみ」
    「耳のかたちの美しさ」
    「レーゾンデートル」
    これらのキーワードは、『1Q84』でも繰り返されている。

 ・世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド (1985年6月 新潮社・書き下ろし特別作品)
 ・ノルウェイの森 (1987年9月 講談社より書き下ろし)
 ・ダンス・ダンス・ダンス (1988年10月 講談社より書き下ろし)

   ★ここまでどっぷり大学生。1985年の入学から1989年3月卒業まで。
    課題で「ダンス・・・」の文章から引用して、デザインコンセプトを作った記憶が。。
    「・・・踊り続けるんだ・・・」
    90年代は、ほとんど小説を読んでいない。ここから村上小説とはご無沙汰だった。。。


★高校生の頃、自分はなにをしていいかわからず、
 ちょっと上の世代の産み出す小説を読んで、
 その世界観に触れながら、生き方を探してたのかもしれない。
 今風にいえば、“自分さがし”か、、、 まったく、、
  (父は世代的に漱石や百閒、そして大江健三郎だ)

 僕にとっての村上龍はデビュー作『限りなく透明に近いブルー』(1976年、講談社)で終わり。
 三田 誠広は『僕って何』河出書房新社(1977年)で終わり。
 中上健次は『枯木灘』(1977年)を読み切れなかった。。いま再びチャレンジしてみたい。
 田中康夫「なんとなく、クリスタル」河出書房新社(1981年)。親友と回し読みしたなぁ。

 あとはロバート・b・パーカーとか 『ゴッドウルフの行方』『約束の地』『初秋』
 北方謙三『逃がれの街』『逃がれの街』 なつかしいなぁ。。

 やっぱりシックリきたのは、村上春樹だったなぁ。
  田中康夫ほど金持ち・ブランド的でなく、
  中上健次ほど実存ぽくなく、
  村上龍ほどエンターテイメントでなく、
  僕って何、ほど純情素朴すぎず、

 ハードボイルドな、ナルシスティックさ加減がしっくりきたのかもしれない。

 村上春樹(1949年1月12日 - )
 村上龍 (1952年2月19日 - )
 三田 誠広(1948年6月18日 -)
 中上健次(1946年8月2日 - 1992年8月12日)
 北方謙三(1947年10月26日 -)
 田中康夫(1956年4月12日 – )

★ロバート・b・パーカー(1932年9月17日 - 2010年1月18日)
 え! 2010年! 亡くなったの?
 http://sankei.jp.msn.com/culture/books/100121/bks1001211306000-n1.htm
  一昨々日。。。昨日のニュース。 驚いた。

 ご冥福をお祈りします。
 高校時代、その頃のスペンサーシリーズはほとんど読んでいた。
 勉強の合間に、通学の行き帰りの京浜東北線の中で。

 村上春樹も彼の小説の愛読者で、やはり文体には影響を受けている。
 僕の中では、ムラカミとパーカーは繋がっていた。
 スペンサー小説翻訳の菊地光(2006年没)は「さっ、」という訳がくせだった。

★実は僕の文体も、僭越ながら、「村上春樹に似ている」評してくれた方がいる。
 http://blog.livedoor.jp/hanaichisan/archives/2009-02.html?p=2
 じつは、感想などたくさん頂戴したなかで、ひそかにいちばん気に入っていたのだが・・・
  ↓
 「なお、この本は、村上春樹さんに似た文章で書かれており、読者をグイグイと博物館に引っ張っていく感じがしました。」
 これを読んだ時、ちょっと感動してしまった。


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SHISEI

★感想らしい感想を書いてなかったな。

「青豆」の魅力的な描かれ方が、
 見事に「イカす女殺し屋」像を表現していた。

この物語の新興宗教のありようの描写については、
村上春樹が90年代から描いてきた言説に触れてこなかったので、
あまり彼の思考を感じないままに読んだ、と思う。

ただ、その「空気」は身近な現象だったので、
それなりに対象化抽象化しつつ、ひとつの社会背景として読んだ。

その距離感のようなものが、
「二つの月」の表現・プロットに表されていたのだろう。
たしかに異次元で同時進行したことのように、今となっては感じる。

歴史となっていくなかで、いつの間にか「新興」も、
「普通」「日常」となって入り込んでしまうのかもしれない。。。。


by SHISEI (2010-01-23 16:56) 

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