★Vespa in Madrid [PEUGEOT / VESPA / ABARTH]
★小型のベスピーノはもうほとんど見なくなったマドリッド。
それでもベスパは新旧まだまだ元気だ。
専門店前に青い角目が(`_´)ゞ
それにしてもモッズご用達のスペイン産ランブレッタは、
さすがに一度も見かけなかったなぁ。
ラテン系のスペインがイタリアやフランスと違うのは、
現役クルマ産業を聞かない事かな…
それでもベスパは新旧まだまだ元気だ。
専門店前に青い角目が(`_´)ゞ
それにしてもモッズご用達のスペイン産ランブレッタは、
さすがに一度も見かけなかったなぁ。
ラテン系のスペインがイタリアやフランスと違うのは、
現役クルマ産業を聞かない事かな…
★GUERNICA/Museo National Centro De Arte Reina Sofia [博物館・美術館]
★1988年 大学三年の春休み、
プラドのスペイン絵画にうんざり気味で、ピカソでもと思って…
ゲルニカは防弾ガラスで機関銃を抱えた兵隊に守られていた記憶が_φ(・_・
いまMNCARS(ソフィア王妃芸術センター) ルーム26に、
露出で展示されたゲルニカは、
ERCO Ecripseに加えてLEDのLogotecが試行的?!に採用されて、
あの独特のグレーが白い空間に浮かんでいた。
吊り下げダクト上の天井間接照明もLEDらしいが、
ちょっと色温度バランスが要再調整かも?
少し日本の戦争画を思わせたが、まったく別物だな~
と思って隅からすみまでジックリ見てたら
ブーッと警報音、近づき過ぎた(`_´)ゞ
★ゲルニカ 25年ぶりに再会した後は、
カルダーのある中庭で休憩中_φ(・_・
※作品画像はwikiより
プラドのスペイン絵画にうんざり気味で、ピカソでもと思って…
ゲルニカは防弾ガラスで機関銃を抱えた兵隊に守られていた記憶が_φ(・_・
いまMNCARS(ソフィア王妃芸術センター) ルーム26に、
露出で展示されたゲルニカは、
ERCO Ecripseに加えてLEDのLogotecが試行的?!に採用されて、
あの独特のグレーが白い空間に浮かんでいた。
吊り下げダクト上の天井間接照明もLEDらしいが、
ちょっと色温度バランスが要再調整かも?
少し日本の戦争画を思わせたが、まったく別物だな~
と思って隅からすみまでジックリ見てたら
ブーッと警報音、近づき過ぎた(`_´)ゞ
★ゲルニカ 25年ぶりに再会した後は、
カルダーのある中庭で休憩中_φ(・_・
※作品画像はwikiより
★アルフォンス・ミュシャ展 @森アーツセンターギャラリー [展覧会・アートイベント etc.]
★アルフォンス・ミュシャ展 @森アーツセンターギャラリーへ
http://www.ntv.co.jp/mucha/
音声ガイドを借りて、じっくりと鑑賞(`_´)ゞ ・音声ガイドは、A&Daudioguide
・2013年版のチラシと、1978年の図録。
大型のリトグラフは、デザイン学生の頃から見慣れた図ではあるが、
なんといってもその技術と、ポスターの保存の良さに驚く。
しかし、今展ではチェコに戻ってからの仕事に注目である。
華やかな世紀末のパリでのポスターイメージから、
ミュシャ50歳で故郷チェコに戻ってからの仕事まで、
後半を見ながら民族・宗教・イデオロギー・国家と、画家としてのしごと鑑賞。
・高校〜浪人時代に部屋に張ってあった“MEDEE”(昭和53年の図録より)
... 帰宅して、昭和53年開催の「アルフォンス・ミュシャ展」図録を読み返す。。(僕は13歳か)
これは伊勢丹美術館だったか、西武美術館だったか?
図録には記載が無い・・・自分で行ったのかも、もはや定かじゃないけど、
このとき日本でアールヌーボーが当って
、その後アールデコの「エルテ」展で外したという、そんな記憶だけはある。
「ヌーボー」はジャポニスムと影響関係が深いが、「デコ」はちょっと違う。
むしろブラック・アフリカンアートへのあこがれ的影響が大か。
それがヒットの有無にかかわるのか。(`_´)ゞ
★思えば、1866年生まれの黒田清輝、久米桂一郎とは、
同時期にパリの空気を吸っていたことになる。
一方は、その後の日本で「裸体画論争」など、次元の違う話しになってしまうのだが、、、、、
★昔のミュシャ展図録(昭和53年)には、
ミュシャの子ジリ・ミュシャが一文を寄せている。
ミュシャの人柄や、日本美術とミュシャとの影響関係を示す、
なかなか良い文章(`_´)ゞ
この時はジリ・ミュシャ氏所蔵のコレクションから多く出品されているので、
その後現在のように財団になって、きっちりと管理されているのかと予想できる。
巻末には、『アール・ヌーボーの世界』(1968年刊行)の海野弘によるミュシャ論も。。
★それにしても今日は会場づくりにお金がかかってたなあ。
曲面や装飾壁に塗装仕上げ、木製の結界は、
巡回しての入場者数やグッズ売上げを見込んでの作りかな。
会場にはほんとに若い女性が多い。
(男性はチラホラ、カップルと男一人ではなんとなく雰囲気が違うように見える)
★アルフォンス・ミュシャ@日曜美術館を見ていて思い出した。
早稲田のシーズンスポーツサークルの新入生勧誘チラシに
ミュシャをアレンジしてデザインしたなぁ。
あれが 高校時代の友人K君からの最初のデザイン仕事依頼(`_´)ゞ
※たくさんの新入生(女子)が入るよう…というオーダーだったかな、、
デザインは、クライアントのさまざまな要求要望に応えなければならない。
というのはミュシャも僕も同じと悟った。(笑
今は昔のはなし。。。
http://www.ntv.co.jp/mucha/
音声ガイドを借りて、じっくりと鑑賞(`_´)ゞ ・音声ガイドは、A&Daudioguide
・2013年版のチラシと、1978年の図録。
大型のリトグラフは、デザイン学生の頃から見慣れた図ではあるが、
なんといってもその技術と、ポスターの保存の良さに驚く。
しかし、今展ではチェコに戻ってからの仕事に注目である。
華やかな世紀末のパリでのポスターイメージから、
ミュシャ50歳で故郷チェコに戻ってからの仕事まで、
後半を見ながら民族・宗教・イデオロギー・国家と、画家としてのしごと鑑賞。
・高校〜浪人時代に部屋に張ってあった“MEDEE”(昭和53年の図録より)
... 帰宅して、昭和53年開催の「アルフォンス・ミュシャ展」図録を読み返す。。(僕は13歳か)
これは伊勢丹美術館だったか、西武美術館だったか?
図録には記載が無い・・・自分で行ったのかも、もはや定かじゃないけど、
このとき日本でアールヌーボーが当って
、その後アールデコの「エルテ」展で外したという、そんな記憶だけはある。
「ヌーボー」はジャポニスムと影響関係が深いが、「デコ」はちょっと違う。
むしろブラック・アフリカンアートへのあこがれ的影響が大か。
それがヒットの有無にかかわるのか。(`_´)ゞ
★思えば、1866年生まれの黒田清輝、久米桂一郎とは、
同時期にパリの空気を吸っていたことになる。
一方は、その後の日本で「裸体画論争」など、次元の違う話しになってしまうのだが、、、、、
★昔のミュシャ展図録(昭和53年)には、
ミュシャの子ジリ・ミュシャが一文を寄せている。
ミュシャの人柄や、日本美術とミュシャとの影響関係を示す、
なかなか良い文章(`_´)ゞ
この時はジリ・ミュシャ氏所蔵のコレクションから多く出品されているので、
その後現在のように財団になって、きっちりと管理されているのかと予想できる。
巻末には、『アール・ヌーボーの世界』(1968年刊行)の海野弘によるミュシャ論も。。
★それにしても今日は会場づくりにお金がかかってたなあ。
曲面や装飾壁に塗装仕上げ、木製の結界は、
巡回しての入場者数やグッズ売上げを見込んでの作りかな。
会場にはほんとに若い女性が多い。
(男性はチラホラ、カップルと男一人ではなんとなく雰囲気が違うように見える)
★アルフォンス・ミュシャ@日曜美術館を見ていて思い出した。
早稲田のシーズンスポーツサークルの新入生勧誘チラシに
ミュシャをアレンジしてデザインしたなぁ。
あれが 高校時代の友人K君からの最初のデザイン仕事依頼(`_´)ゞ
※たくさんの新入生(女子)が入るよう…というオーダーだったかな、、
デザインは、クライアントのさまざまな要求要望に応えなければならない。
というのはミュシャも僕も同じと悟った。(笑
今は昔のはなし。。。