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★アルフォンス・ミュシャ展 @森アーツセンターギャラリー [展覧会・アートイベント etc.]

★アルフォンス・ミュシャ展 @森アーツセンターギャラリーへ
 http://www.ntv.co.jp/mucha/
 音声ガイドを借りて、じっくりと鑑賞(`_´)ゞ ・音声ガイドは、A&Daudioguide
 
 mucha 45577_n.jpg
 ・2013年版のチラシと、1978年の図録。

 大型のリトグラフは、デザイン学生の頃から見慣れた図ではあるが、
 なんといってもその技術と、ポスターの保存の良さに驚く。
 しかし、今展ではチェコに戻ってからの仕事に注目である。

 華やかな世紀末のパリでのポスターイメージから、
 ミュシャ50歳で故郷チェコに戻ってからの仕事まで、
 後半を見ながら民族・宗教・イデオロギー・国家と、画家としてのしごと鑑賞。

 mucha 431248882_n.jpg
 ・高校〜浪人時代に部屋に張ってあった“MEDEE”(昭和53年の図録より)

 ... 帰宅して、昭和53年開催の「アルフォンス・ミュシャ展」図録を読み返す。。(僕は13歳か)
 これは伊勢丹美術館だったか、西武美術館だったか?
 図録には記載が無い・・・自分で行ったのかも、もはや定かじゃないけど、

 このとき日本でアールヌーボーが当って
 、その後アールデコの「エルテ」展で外したという、そんな記憶だけはある。

 「ヌーボー」はジャポニスムと影響関係が深いが、「デコ」はちょっと違う。
 むしろブラック・アフリカンアートへのあこがれ的影響が大か。
 それがヒットの有無にかかわるのか。(`_´)ゞ

★思えば、1866年生まれの黒田清輝、久米桂一郎とは、
 同時期にパリの空気を吸っていたことになる。
 一方は、その後の日本で「裸体画論争」など、次元の違う話しになってしまうのだが、、、、、

★昔のミュシャ展図録(昭和53年)には、
 ミュシャの子ジリ・ミュシャが一文を寄せている。
 ミュシャの人柄や、日本美術とミュシャとの影響関係を示す、
 なかなか良い文章(`_´)ゞ

 mucha 12_n.jpg

 この時はジリ・ミュシャ氏所蔵のコレクションから多く出品されているので、
 その後現在のように財団になって、きっちりと管理されているのかと予想できる。

 巻末には、『アール・ヌーボーの世界』(1968年刊行)の海野弘によるミュシャ論も。。

★それにしても今日は会場づくりにお金がかかってたなあ。
 曲面や装飾壁に塗装仕上げ、木製の結界は、
 巡回しての入場者数やグッズ売上げを見込んでの作りかな。
 会場にはほんとに若い女性が多い。
 (男性はチラホラ、カップルと男一人ではなんとなく雰囲気が違うように見える)


★アルフォンス・ミュシャ@日曜美術館を見ていて思い出した。
 早稲田のシーズンスポーツサークルの新入生勧誘チラシに
 ミュシャをアレンジしてデザインしたなぁ。
 あれが 高校時代の友人K君からの最初のデザイン仕事依頼(`_´)ゞ
 ※たくさんの新入生(女子)が入るよう…というオーダーだったかな、、

 デザインは、クライアントのさまざまな要求要望に応えなければならない。
 というのはミュシャも僕も同じと悟った。(笑
 今は昔のはなし。。。

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