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◆絵を超越した存在 ☆残酷の美 ★稽古 [芸能・演劇・映画・音楽 etc.]
◆一昨日は、たった1枚の絵画のための照明フォーカシング作業だった。
最後は自分一人だけ会場に残って、遅くまで最終設定を静かに確認。
この一枚の美しい板絵のために、どれだけ多くの人々が関わって仕事をしたことか・・・
この「絵」は、じっくりと向き合っていると、ただ美しさだけを堪能すればよいはずが、ひとたび謎解きを始めだせば、絵画というものを超越した、なにか別のミステリアスな存在に見えてくる。
絵画空間の中に不思議な光があって、照明の調整が、その光に引っぱられて誤魔化される、のだ。
☆昨日、午後から能を観に出かける。
きのう眼を酷使したせいもあって、眠い。
最後の能「善知鳥」(うとう)の出し物が極めつけによかった。
話の筋は、老翁=もはやこの世の者ではないが、故郷に残した妻子に形見をとどけてほしいと、着ている着物の方袖を破って僧に託す・・・
・・・その妻と子の前に、この亡者が現れるのだが、眼前に妻子の姿を見ながら近づくことができない。
のたうち苦しむ様をみせる型(仕舞と地謡)が続き、「残酷の美」を極め尽くす連続技が観客の目を捉えてはなさない。(パンフレットより)
と、この「残酷の美」が見事だった。こんな芝居/芸能って西洋にはないな。オペラなんか見るよりぐっとさりげなく、深い。
観終わって、ぐっと脱力しながら、外は風が冷たかった。
★この能を観た後に、茶道道場へ。
立礼ではなく、久々に座敷で点前の稽古。
正座はしびれたが、集中力はあまり落ちずにおちついて出来た気がした。
※しかし点前の流れはままだまだバラバラ・・・

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