★160326 一ノ関、平泉・中尊寺へ [都市・街・公園・光・風景]
★中尊寺へは初めて。
金色堂拝観*照明をチェックしてから外に出て…、
実は旧覆堂の佇まいが良いことに気づく。
暫し見とれる。。
内陣も時を感じさせてくれて、いい。
★1999年『金と銀』の展示を担当した時、中尊寺金色堂の仏は、
期待に反して妙に「小さ」かったのを覚えている。
確に今日見た阿弥陀・観音・勢至、それをとりまく尊像たちも、
決して大型の像ではなかった。
『金と義』では、なにか「ローカル」な仏像彫刻のスタイルに見えて
・・・あれは金色堂から出て、無機質な背景の壁・台上に陳列してしまい、
まったく金色堂の世界を意識せず、
ホワイトキューブのような展示デザインに投げ込んでしまった結果だったのであろう。
16年も経ったいま、反省しきりだ・・。
この度、LEDに照らされた金色堂の空間は、
ガラスケースの中で無呼吸のようで冷たい印象だったが、
手前のただ1本の和蝋燭のゆらめく光を、金色の内陣が受け、
わずかばかりの生気を感じさせてくれた。
最新の光学制御も、ひとつの蝋燭の炎に及ばないのかもしれない。(`_´)ゞ
重文の能舞台は衝撃的に素晴らしかった(`_´)ゞ
中尊寺は金色堂ばかりがクローズアップされるが、
随所にいい風景が認められた。
必再訪の地、だなぁ。
金色堂拝観*照明をチェックしてから外に出て…、
実は旧覆堂の佇まいが良いことに気づく。
暫し見とれる。。
内陣も時を感じさせてくれて、いい。
★1999年『金と銀』の展示を担当した時、中尊寺金色堂の仏は、
期待に反して妙に「小さ」かったのを覚えている。
確に今日見た阿弥陀・観音・勢至、それをとりまく尊像たちも、
決して大型の像ではなかった。
『金と義』では、なにか「ローカル」な仏像彫刻のスタイルに見えて
・・・あれは金色堂から出て、無機質な背景の壁・台上に陳列してしまい、
まったく金色堂の世界を意識せず、
ホワイトキューブのような展示デザインに投げ込んでしまった結果だったのであろう。
16年も経ったいま、反省しきりだ・・。
この度、LEDに照らされた金色堂の空間は、
ガラスケースの中で無呼吸のようで冷たい印象だったが、
手前のただ1本の和蝋燭のゆらめく光を、金色の内陣が受け、
わずかばかりの生気を感じさせてくれた。
最新の光学制御も、ひとつの蝋燭の炎に及ばないのかもしれない。(`_´)ゞ
重文の能舞台は衝撃的に素晴らしかった(`_´)ゞ
中尊寺は金色堂ばかりがクローズアップされるが、
随所にいい風景が認められた。
必再訪の地、だなぁ。
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