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★ 河口龍夫 @横田茂ギャラリー [展覧会・アートイベント etc.]

★今日は日本大学芸術学部CDXIのレクチャー学外授業。
 ゆりかもめに乗って竹芝・ 横田茂ギャラリー 河口龍夫 1868-1973』へ。

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 何の予備知識も与えず学生数名をギャラリーへと案内したところ、
 皆、サーッと作品を見て、あっという間に見終わってしまった様子。オイオイ。
 僕は一歩引いて空間を味わいつつ、気分だけは作品を遠くから俯瞰でただ酔う(漂う)。

 河口龍夫という現代美術ビッグネームの作品の数々は多く見てきたが、
 今回は60年代後半から70年代初頭の作品が「検証」されている。
 学生は頭上に?のままのようだが・・作品と対話を試みようとしている模様。

 さて今日は展覧会最終日ということで、河口龍夫氏ご本人らしき方もいらして、
 ギャラリーの方に紹介していただく機会を得た。

 恐るおそる学生に作品の「入口」を示していただけないかとお願いしたところ、
 こころよく〈空間の荷造り〉1968について解説をしていただいた。
 そのままほぼ全ての作品に関してギャラリートークをしていただくことに。。
 (僕にとっては願っても無い、贅沢な時間を過ごすことができたのだが)

 キーワードのいくつかが発せられる::
 60−70年代、アンデパンダン、時間を封じ込めた感光し続ける紙、
「名付け」と広辞苑、言葉(英単語)について、
 李 禹煥氏との語らいのこと、八木一夫氏とのエピソード
 写真/フィルム/記録のこと。「美術」なるものの非有用性と必要について。
 さらに「デザイン」にかかわることにも言及していただいた。噛みしめる。

 そして「世界が見える」ことの可能性、という大いなる問題についても
 また3.11以後に、アーティストとしての自己に突き付けられる問題も。

◆ギャラリーでいただいたリーフレットの中に、作家自身による文章がある。
   〈 「観念」と「物質」の狭間で 〉 河口龍夫  より言葉をひく:

 “大雑把な言い方をすれば当時の新しい美術の動向においては、「観念」と「物質」とのせめぎあいの季節であったように思う。別の言い方をすれば、美術の基本理念と世界をとらえる手がかりを「観念」か「物質」か、どちらに比重をおくかの二者択一を迫られたと言い換えてもよい。”

 ご本人から直接話をうかがう機会を得たことで、
 そのことばのひとつひとつが、今の僕にはリアリティをもって迫ってくる。


★僕が高校生か美大浪人生だった頃から“空気のように”信頼している画廊である。
 最初の頃はレインボーブリッジもゆりかもめも無い、ただの倉庫だった。
 時間と物質について、そして展示の本質についても深く検討することができた。

 ギャラリーを後にしてから、近くのカフェで学生数名とトークの時間。
 いちおう今日の河口龍夫氏の言葉を借りつつ、
〈コミュニケーション〉の問題についても僕なりの考え方を伝えたつもりだが。
 けっきょく僕自身が教えを乞うた授業時間となった気がする。

 河口先生、本日は御講義ありがとうございました。
(こんな場所でブログ中ですが、あらためて感謝申し上げます)

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