世界のFUKUDA ☆ [展覧会・アートイベント etc.]
☆午後から東京芸大・第一講義室へ
1月11日に亡くなった福田繁雄先生の研究室の、「福田先生の会」
僕は研究室の出身でもなく、ただ大学1年の時の担任ということだけど、福田先生が唯一、最初で最後の学年担任を持ったクラスだった。
先生はご自分で出した課題の講評会に出席せず、海外のなにかの用事で旅行に行ってしまい、他の教授陣では講評できずに、僕たちは?の状態のまま・・・結局、先生は次の年に芸大を去ることになってしまった。
大学1年の、なんの実力もない僕たちのことは、はなから相手にしてなかったんだろうな/// だけど、1年生のデザイン科研修合宿で、世界で活躍するデザイナーの迫力に打ちのめされたことは、今でも昨日のことのように甦ってくる。
なんにも教えくれない。ということが芸大ではあたりまえの教育のあり方だった。自分で学ぶ。それはたぶん美術教育のあり方として間違っていない。
日比野克彦さんの司会で、教え子が持ち寄ったスライドを見ながら会は進行。 蒼々たるグラフィックデザイン、イラストレーション、アートディレクション界の面々が、先生の思い出を語る。
僕から見ると、予備校生の頃から憧れていたような、本当に凄い教え子たちがキラ星のごとく・・・いま考えると、福田先生が審査員のコンクールで賞をとって世に出た人たちも多いのだが、その実力は第一線で活躍する彼らのデザインの力を見れば一目瞭然。
“一目瞭然!”
そう、『優れた視覚デザインは、言葉を越えて、世界の人々に伝わるコミュニケーションなのだ』というのが福田先生の持論だった。(その言葉に共感しつつ、かなり反発もしたのだけれど、パワー負けした)
デザインの力を信じる! そういう自明のことを、日常の忙しさにまぎれて忘れそうになるけど、僕自身ちょっと思い直してもいいのかもしれない。
とにかく、世界のFUKUDA、の姿を思い返す一日だった。
イリュージョンとトリック、アイデアとデッサン、そしてユーモアとデザインの力
負けずにがんばらないといけない。
※画像は芸大ショップ前ポスター展示 左から福田繁雄、松永真、日比野克彦
1月11日に亡くなった福田繁雄先生の研究室の、「福田先生の会」
僕は研究室の出身でもなく、ただ大学1年の時の担任ということだけど、福田先生が唯一、最初で最後の学年担任を持ったクラスだった。
先生はご自分で出した課題の講評会に出席せず、海外のなにかの用事で旅行に行ってしまい、他の教授陣では講評できずに、僕たちは?の状態のまま・・・結局、先生は次の年に芸大を去ることになってしまった。
大学1年の、なんの実力もない僕たちのことは、はなから相手にしてなかったんだろうな/// だけど、1年生のデザイン科研修合宿で、世界で活躍するデザイナーの迫力に打ちのめされたことは、今でも昨日のことのように甦ってくる。
なんにも教えくれない。ということが芸大ではあたりまえの教育のあり方だった。自分で学ぶ。それはたぶん美術教育のあり方として間違っていない。
日比野克彦さんの司会で、教え子が持ち寄ったスライドを見ながら会は進行。 蒼々たるグラフィックデザイン、イラストレーション、アートディレクション界の面々が、先生の思い出を語る。
僕から見ると、予備校生の頃から憧れていたような、本当に凄い教え子たちがキラ星のごとく・・・いま考えると、福田先生が審査員のコンクールで賞をとって世に出た人たちも多いのだが、その実力は第一線で活躍する彼らのデザインの力を見れば一目瞭然。
“一目瞭然!”
そう、『優れた視覚デザインは、言葉を越えて、世界の人々に伝わるコミュニケーションなのだ』というのが福田先生の持論だった。(その言葉に共感しつつ、かなり反発もしたのだけれど、パワー負けした)
デザインの力を信じる! そういう自明のことを、日常の忙しさにまぎれて忘れそうになるけど、僕自身ちょっと思い直してもいいのかもしれない。
とにかく、世界のFUKUDA、の姿を思い返す一日だった。
イリュージョンとトリック、アイデアとデッサン、そしてユーモアとデザインの力
負けずにがんばらないといけない。
※画像は芸大ショップ前ポスター展示 左から福田繁雄、松永真、日比野克彦
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