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ON AIR ★ 追記 [出版/寄稿/レクチャー/取材 etc.]
★ ON AIR 展 追記。
「どうやったら、旅をするように仕事ができるようになれるか」
(だいたいそんな感じだったかな?)という質問への回答のようなつもり。
★いまでもたまに読み返す、BRUTUS No.166(1987年10月)
特集「90年代のブルータスたちへ」にある、旦敬介氏のコラム。

『 “国” を捨てるにあたって
いつでも亡命してやる、のために』
「中国人とユダヤ人がもっていて、日本人がもっていないもの、
それは言うまでもなく、移動の心だ。中国人もユダヤ人も、地球上を
くまなく移動し、世界中どこの国にいってもあっさり住みついてしまえる
柔軟な心をもっている。今世紀の末を生きる日本人には中国人の心が必要だ。
(中略)
なるほどなるほど、とうなずきながら、それでいて、
どうもそれと完全になじんでしまうことはできずに浮いてしまっている、
その浮き具合を自分で笑っている、それが中国人なんだ。
そういう皮膚感覚を養成していくうちに、
しだいに自分の国もなんだかよその国のような感じがしてくるかもしれない。
そうなったらしめたものだ。われわれ誰しも生まれた当初は
日本人じゃなかったことを思い出そう。(中略)」
★ 今読むと、ちょっと?な所もあるが・・・しかし、
当時は、こんな大人になりたい、と素直に感じたもの。
90年代は、このテキストどおりに実行しようと考えて、
自分のアンテナにもとづいて、なるべく多く旅をした。
いま2009年になって、もういちどこのテキストの続きを実行するつもりだ。
「(中略)日本人として身につけさせられてきてしまった
さまざまな不要なものたちを洗いおとしてゆけるのはそれからだ。
まずは言葉。日本語を外国語のように一語一語かみしめながらとつとつと
しゃべれるようになるまで学びおとしていくのだ。(後略)」
「どうやったら、旅をするように仕事ができるようになれるか」
(だいたいそんな感じだったかな?)という質問への回答のようなつもり。
★いまでもたまに読み返す、BRUTUS No.166(1987年10月)
特集「90年代のブルータスたちへ」にある、旦敬介氏のコラム。

『 “国” を捨てるにあたって
いつでも亡命してやる、のために』
「中国人とユダヤ人がもっていて、日本人がもっていないもの、
それは言うまでもなく、移動の心だ。中国人もユダヤ人も、地球上を
くまなく移動し、世界中どこの国にいってもあっさり住みついてしまえる
柔軟な心をもっている。今世紀の末を生きる日本人には中国人の心が必要だ。
(中略)
なるほどなるほど、とうなずきながら、それでいて、
どうもそれと完全になじんでしまうことはできずに浮いてしまっている、
その浮き具合を自分で笑っている、それが中国人なんだ。
そういう皮膚感覚を養成していくうちに、
しだいに自分の国もなんだかよその国のような感じがしてくるかもしれない。
そうなったらしめたものだ。われわれ誰しも生まれた当初は
日本人じゃなかったことを思い出そう。(中略)」
★ 今読むと、ちょっと?な所もあるが・・・しかし、
当時は、こんな大人になりたい、と素直に感じたもの。
90年代は、このテキストどおりに実行しようと考えて、
自分のアンテナにもとづいて、なるべく多く旅をした。
いま2009年になって、もういちどこのテキストの続きを実行するつもりだ。
「(中略)日本人として身につけさせられてきてしまった
さまざまな不要なものたちを洗いおとしてゆけるのはそれからだ。
まずは言葉。日本語を外国語のように一語一語かみしめながらとつとつと
しゃべれるようになるまで学びおとしていくのだ。(後略)」
ONAIR の講評の時、旅の話しになったのでしょうか。
学生には、できるだけ旅に出て欲しいし、私も行きたいですね。
先週はバタバタしていて申し訳ありませんでした。これからもよろしく御願いします。
by sibaz (2009-01-10 23:34)
ずっと読み続けている雑誌といえば、週刊文春でもなく、スタジオボイスでもなく、アサヒジャーナルでもなく、少年マガジンでもなく、ターザンでもない、
僕にとっては80年代後半〜現在までの「ブルータス」でした。
この雑誌からは、たくさんの情報と、時には指標や勇気を得ました。
彼らの就活時期の複雑な思いと、僕と副編集長の旅の経験とが、BRUTUSというメディアを介して、あの場所ではなんとなくそういう話題になったのでした。
by SHISEI (2009-01-11 00:51)