★日本美術応援団@トーハク [博物館・美術館]
★さて、今日の午後は 日本美術応援団が来る!
「日本美術応援団、東京国立博物館を応援する」(`_´)ゞ
ということで整理券握りしめて会場へ行ったけど、
時間になっても講演者のお三方がまだ未到着らしい。
15分ほど過ぎて、ようやくご登壇。
山下裕二先生がクルマで赤瀬川原平さんを迎えに行って渋滞に・・・とのこと。
驚いたのは、赤瀬川さんが車イスで・・・老人力がアップしている、ご本人談。
★ご登壇後は、山下裕二先生、南伸坊さん、そして赤瀬川源平さんによる、
「日本美術」というよりトーハク応援トークが、弾む弾む(`_´)ゞ
お三方の「東博初体験はどんなでした?」の問いに、
赤瀬川さんは「メキシコ美術展、キケイロスとかタマヨとか見たなあ」で、
南伸坊さんは「なにげなく見た平常展の・・納涼図とかかなあ、で、
山下さんはなんと「大学に入るまで東京は来たこと無かった!」である。
★山下先生が講演のために撮影されたスライドをざーっと見てながらのトーク。
上野駅ホームから改札を出て、上野公園内にできたカフェ、そして正門。
日傘のサービス、帝冠様式の本館、エントランスホール・・・ようやく展示。
最初の仏像の展示のところで、さらっと僕の名前が聞こえたような//
山下先生の“土門拳ばり”の仏像写真では、
「常陳では写真を撮ってもOKなんですよ〜」
南伸坊さんも「それはもっとアピールしたほうがいいんじゃない」と返す。
話題は2階へつづく・・・な、なんと、黒田と久米の裸婦デッサンが!
『美術解剖学 ー人のかたちの学び』の展示が紹介されたのです!
残念ながら7月29日で会期は終了ですが、今日一番の喜びでした。
そして“岡本太郎ばり”の火焔土器写真にはじまり、
2階をぐるっと回って、「納涼図」まで/そこでじっと語り合う。
おまけで法隆寺宝物館を語る。
「ここはだーれもいなくていいよねぇ」と南さん。
★今日は赤瀬川さんが車イスで登壇されて驚いた、
というより心配になった、と同時に「もうそんなお年なの!?」と、、
思えば赤瀬川源平さんの講演は、学生の頃に聴講したのが初めて。
もちろん尾辻克彦名での芥川賞「父が消えた」は読んだし、一連のトマソンも追っかけたし・・・
昭和40年生まれアーティストは、少なからずトマソンの影響を受けている。
照明デザイン事務所勤務のとき、『照明探偵団』での連続イベントで、
「無言の前衛」にサインをいただいた。(`_´)ゞ
これは宝物であるし、今思えば茶道への関心の最初でもあった、
その後、『art-link 上野-谷中1997』で関わらせてただく事になった!?/
http://artlink.jp.org/2009/talkevent_profile.html
『眠れる森の美術』チラシ 1997年 上野の森美術館
★50代、60代、70代の、永遠の学ラン三先生にご挨拶。
お疲れ様でした。ありがとうございました。 (40代の気持ちは学ランより)
「日本美術応援団、東京国立博物館を応援する」(`_´)ゞ
ということで整理券握りしめて会場へ行ったけど、
時間になっても講演者のお三方がまだ未到着らしい。
15分ほど過ぎて、ようやくご登壇。
山下裕二先生がクルマで赤瀬川原平さんを迎えに行って渋滞に・・・とのこと。
驚いたのは、赤瀬川さんが車イスで・・・老人力がアップしている、ご本人談。
★ご登壇後は、山下裕二先生、南伸坊さん、そして赤瀬川源平さんによる、
「日本美術」というよりトーハク応援トークが、弾む弾む(`_´)ゞ
お三方の「東博初体験はどんなでした?」の問いに、
赤瀬川さんは「メキシコ美術展、キケイロスとかタマヨとか見たなあ」で、
南伸坊さんは「なにげなく見た平常展の・・納涼図とかかなあ、で、
山下さんはなんと「大学に入るまで東京は来たこと無かった!」である。
★山下先生が講演のために撮影されたスライドをざーっと見てながらのトーク。
上野駅ホームから改札を出て、上野公園内にできたカフェ、そして正門。
日傘のサービス、帝冠様式の本館、エントランスホール・・・ようやく展示。
最初の仏像の展示のところで、さらっと僕の名前が聞こえたような//
山下先生の“土門拳ばり”の仏像写真では、
「常陳では写真を撮ってもOKなんですよ〜」
南伸坊さんも「それはもっとアピールしたほうがいいんじゃない」と返す。
話題は2階へつづく・・・な、なんと、黒田と久米の裸婦デッサンが!
『美術解剖学 ー人のかたちの学び』の展示が紹介されたのです!
残念ながら7月29日で会期は終了ですが、今日一番の喜びでした。
そして“岡本太郎ばり”の火焔土器写真にはじまり、
2階をぐるっと回って、「納涼図」まで/そこでじっと語り合う。
おまけで法隆寺宝物館を語る。
「ここはだーれもいなくていいよねぇ」と南さん。
★今日は赤瀬川さんが車イスで登壇されて驚いた、
というより心配になった、と同時に「もうそんなお年なの!?」と、、
思えば赤瀬川源平さんの講演は、学生の頃に聴講したのが初めて。
もちろん尾辻克彦名での芥川賞「父が消えた」は読んだし、一連のトマソンも追っかけたし・・・
昭和40年生まれアーティストは、少なからずトマソンの影響を受けている。
照明デザイン事務所勤務のとき、『照明探偵団』での連続イベントで、
「無言の前衛」にサインをいただいた。(`_´)ゞ
これは宝物であるし、今思えば茶道への関心の最初でもあった、
その後、『art-link 上野-谷中1997』で関わらせてただく事になった!?/
http://artlink.jp.org/2009/talkevent_profile.html
『眠れる森の美術』チラシ 1997年 上野の森美術館
★50代、60代、70代の、永遠の学ラン三先生にご挨拶。
お疲れ様でした。ありがとうございました。 (40代の気持ちは学ランより)