★《洋画家 黒田清輝 誕生の地》をたずねて。 [博物館・美術館]
★そういうわけで・・
《洋画家 黒田清輝 誕生の地》をたずねて。
台風をかすめて鹿児島の地に降り立つ。
その足で黒田清輝が東京に出るまでを過ごした場所へ向かう。
うっすらと地面には、桜島の黒灰色の火山灰が積もっている。
★石碑を写真に収めて立ち去ろうとすると、
その並びになにかの気配が、、黒田本人が、立っていた。
黒田のうしろは、弟子の山下兼秀だそうで、弟子も立派に銅像になった。
(銅じゃなくてアルミかな?)
その後数カ所で出くわすことに・・観光オブジェ。
http://www.city.kagoshima.lg.jp/_1010/kanko/topics/_37427.html
「モニュメント」ではなく「オブジェ」歴史を身近に、の考え方にユーモアがある。
★黒田清輝の作品が収蔵されているというので鹿児島市立美術館へ。
黒田の『桜島爆発噴煙』(1914)を見ること適う。
横には黒田の助手・山下兼秀が描いた『桜島爆発図』が並んで展示されていた。
山下の絵は描き方に細かい所まで手がゆきとどいているが、
黒田のとらえ方のほうが火山灰の空間をとらえて魅力的にみえる。
しかも色が輝いているのは「外光派」の本領か。
★西郷隆盛
上野にもいる西郷どん。
鹿児島には銅像が多い。すなわち偉人が多い。
武人/軍人/政治家には、人・人々に愛されるキャラ、が大事だなぁ、
と思わせる人柄だ。(イメージ)
★「黎明館」にて鹿児島の歴史を学ぶ。
http://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/
鹿児島県の歴史展示は博物館でなく、ここにある。
この地はいまも維新の風が吹いている。
ちょっと歩くと街のそこここで、島津だの西郷だの大久保・・に出会う。
島津は江戸の世では外様、篤姫を輩出した土地、
維新後に西郷と大久保は西南戦争を戦った風土である。
(偉人の銅像が多く、僕程度の知識ではそこで止まる)
薩摩がイギリスを相手に戦った薩英戦争は、
文久3年7月2日(1863年8月15日)-7月4日(8月17日)のこと。
その3年後、慶応2年(1866年)に生まれた黒田清輝の半生がうまく結びつかず、
歴史のダイナミズムと個人という存在の大きさについて思った。
《洋画家 黒田清輝 誕生の地》をたずねて。
台風をかすめて鹿児島の地に降り立つ。
その足で黒田清輝が東京に出るまでを過ごした場所へ向かう。
うっすらと地面には、桜島の黒灰色の火山灰が積もっている。
★石碑を写真に収めて立ち去ろうとすると、
その並びになにかの気配が、、黒田本人が、立っていた。
黒田のうしろは、弟子の山下兼秀だそうで、弟子も立派に銅像になった。
(銅じゃなくてアルミかな?)
その後数カ所で出くわすことに・・観光オブジェ。
http://www.city.kagoshima.lg.jp/_1010/kanko/topics/_37427.html
「モニュメント」ではなく「オブジェ」歴史を身近に、の考え方にユーモアがある。
★黒田清輝の作品が収蔵されているというので鹿児島市立美術館へ。
黒田の『桜島爆発噴煙』(1914)を見ること適う。
横には黒田の助手・山下兼秀が描いた『桜島爆発図』が並んで展示されていた。
山下の絵は描き方に細かい所まで手がゆきとどいているが、
黒田のとらえ方のほうが火山灰の空間をとらえて魅力的にみえる。
しかも色が輝いているのは「外光派」の本領か。
★西郷隆盛
上野にもいる西郷どん。
鹿児島には銅像が多い。すなわち偉人が多い。
武人/軍人/政治家には、人・人々に愛されるキャラ、が大事だなぁ、
と思わせる人柄だ。(イメージ)
★「黎明館」にて鹿児島の歴史を学ぶ。
http://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/
鹿児島県の歴史展示は博物館でなく、ここにある。
この地はいまも維新の風が吹いている。
ちょっと歩くと街のそこここで、島津だの西郷だの大久保・・に出会う。
島津は江戸の世では外様、篤姫を輩出した土地、
維新後に西郷と大久保は西南戦争を戦った風土である。
(偉人の銅像が多く、僕程度の知識ではそこで止まる)
薩摩がイギリスを相手に戦った薩英戦争は、
文久3年7月2日(1863年8月15日)-7月4日(8月17日)のこと。
その3年後、慶応2年(1866年)に生まれた黒田清輝の半生がうまく結びつかず、
歴史のダイナミズムと個人という存在の大きさについて思った。