★ eCornuCopia @東京大学総合研究博物館小石川分館 [博物館・美術館]
★東博とは対極の、あるいはより先を行く、大学博物館:
東京大学総合研究博物館(小石川分館)のイベント内覧会へ
インターメディアテク・プレイベント
eCornuCopia “エコルヌコピア”
MODE & SCIENCE Ⅳ BY NAOKI TAKIZAWA
モード&サイエンス 最近展開しているキーワード。
アート&サイエンス と並び、ミュージアムの大切な指針でもある。
会場で館長の西野嘉章先生にお会いしたので、
二言三言『展示』についてお話しさせていただいた。
いつもながら鋭く刺激多岐なアドバイスをいただく。
これはもう見に行くしか無いネ。
会 期:2011年12月1日[木]、2日[金]、3日[土]
開館時間:10:00~16:30 (入館は16:00まで)
会 場:東京大学総合研究博物館(小石川分館)
入 館 料 :無料
東京大学総合研究博物館(小石川分館)のイベント内覧会へ
インターメディアテク・プレイベント
eCornuCopia “エコルヌコピア”
MODE & SCIENCE Ⅳ BY NAOKI TAKIZAWA
モード&サイエンス 最近展開しているキーワード。
アート&サイエンス と並び、ミュージアムの大切な指針でもある。
会場で館長の西野嘉章先生にお会いしたので、
二言三言『展示』についてお話しさせていただいた。
いつもながら鋭く刺激多岐なアドバイスをいただく。
これはもう見に行くしか無いネ。
会 期:2011年12月1日[木]、2日[金]、3日[土]
開館時間:10:00~16:30 (入館は16:00まで)
会 場:東京大学総合研究博物館(小石川分館)
入 館 料 :無料
★ 河口龍夫 @横田茂ギャラリー [展覧会・アートイベント etc.]
★今日は日本大学芸術学部CDXIのレクチャー学外授業。
ゆりかもめに乗って竹芝・ 横田茂ギャラリー『 河口龍夫 1868-1973』へ。
何の予備知識も与えず学生数名をギャラリーへと案内したところ、
皆、サーッと作品を見て、あっという間に見終わってしまった様子。オイオイ。
僕は一歩引いて空間を味わいつつ、気分だけは作品を遠くから俯瞰でただ酔う(漂う)。
河口龍夫という現代美術ビッグネームの作品の数々は多く見てきたが、
今回は60年代後半から70年代初頭の作品が「検証」されている。
学生は頭上に?のままのようだが・・作品と対話を試みようとしている模様。
さて今日は展覧会最終日ということで、河口龍夫氏ご本人らしき方もいらして、
ギャラリーの方に紹介していただく機会を得た。
恐るおそる学生に作品の「入口」を示していただけないかとお願いしたところ、
こころよく〈空間の荷造り〉1968について解説をしていただいた。
そのままほぼ全ての作品に関してギャラリートークをしていただくことに。。
(僕にとっては願っても無い、贅沢な時間を過ごすことができたのだが)
キーワードのいくつかが発せられる::
60−70年代、アンデパンダン、時間を封じ込めた感光し続ける紙、
「名付け」と広辞苑、言葉(英単語)について、
李 禹煥氏との語らいのこと、八木一夫氏とのエピソード
写真/フィルム/記録のこと。「美術」なるものの非有用性と必要について。
さらに「デザイン」にかかわることにも言及していただいた。噛みしめる。
そして「世界が見える」ことの可能性、という大いなる問題についても
また3.11以後に、アーティストとしての自己に突き付けられる問題も。
◆ギャラリーでいただいたリーフレットの中に、作家自身による文章がある。
〈 「観念」と「物質」の狭間で 〉 河口龍夫 より言葉をひく:
“大雑把な言い方をすれば当時の新しい美術の動向においては、「観念」と「物質」とのせめぎあいの季節であったように思う。別の言い方をすれば、美術の基本理念と世界をとらえる手がかりを「観念」か「物質」か、どちらに比重をおくかの二者択一を迫られたと言い換えてもよい。”
ご本人から直接話をうかがう機会を得たことで、
そのことばのひとつひとつが、今の僕にはリアリティをもって迫ってくる。
★僕が高校生か美大浪人生だった頃から“空気のように”信頼している画廊である。
最初の頃はレインボーブリッジもゆりかもめも無い、ただの倉庫だった。
時間と物質について、そして展示の本質についても深く検討することができた。
ギャラリーを後にしてから、近くのカフェで学生数名とトークの時間。
いちおう今日の河口龍夫氏の言葉を借りつつ、
〈コミュニケーション〉の問題についても僕なりの考え方を伝えたつもりだが。
けっきょく僕自身が教えを乞うた授業時間となった気がする。
河口先生、本日は御講義ありがとうございました。
(こんな場所でブログ中ですが、あらためて感謝申し上げます)
ゆりかもめに乗って竹芝・ 横田茂ギャラリー『 河口龍夫 1868-1973』へ。
何の予備知識も与えず学生数名をギャラリーへと案内したところ、
皆、サーッと作品を見て、あっという間に見終わってしまった様子。オイオイ。
僕は一歩引いて空間を味わいつつ、気分だけは作品を遠くから俯瞰でただ酔う(漂う)。
河口龍夫という現代美術ビッグネームの作品の数々は多く見てきたが、
今回は60年代後半から70年代初頭の作品が「検証」されている。
学生は頭上に?のままのようだが・・作品と対話を試みようとしている模様。
さて今日は展覧会最終日ということで、河口龍夫氏ご本人らしき方もいらして、
ギャラリーの方に紹介していただく機会を得た。
恐るおそる学生に作品の「入口」を示していただけないかとお願いしたところ、
こころよく〈空間の荷造り〉1968について解説をしていただいた。
そのままほぼ全ての作品に関してギャラリートークをしていただくことに。。
(僕にとっては願っても無い、贅沢な時間を過ごすことができたのだが)
キーワードのいくつかが発せられる::
60−70年代、アンデパンダン、時間を封じ込めた感光し続ける紙、
「名付け」と広辞苑、言葉(英単語)について、
李 禹煥氏との語らいのこと、八木一夫氏とのエピソード
写真/フィルム/記録のこと。「美術」なるものの非有用性と必要について。
さらに「デザイン」にかかわることにも言及していただいた。噛みしめる。
そして「世界が見える」ことの可能性、という大いなる問題についても
また3.11以後に、アーティストとしての自己に突き付けられる問題も。
◆ギャラリーでいただいたリーフレットの中に、作家自身による文章がある。
〈 「観念」と「物質」の狭間で 〉 河口龍夫 より言葉をひく:
“大雑把な言い方をすれば当時の新しい美術の動向においては、「観念」と「物質」とのせめぎあいの季節であったように思う。別の言い方をすれば、美術の基本理念と世界をとらえる手がかりを「観念」か「物質」か、どちらに比重をおくかの二者択一を迫られたと言い換えてもよい。”
ご本人から直接話をうかがう機会を得たことで、
そのことばのひとつひとつが、今の僕にはリアリティをもって迫ってくる。
★僕が高校生か美大浪人生だった頃から“空気のように”信頼している画廊である。
最初の頃はレインボーブリッジもゆりかもめも無い、ただの倉庫だった。
時間と物質について、そして展示の本質についても深く検討することができた。
ギャラリーを後にしてから、近くのカフェで学生数名とトークの時間。
いちおう今日の河口龍夫氏の言葉を借りつつ、
〈コミュニケーション〉の問題についても僕なりの考え方を伝えたつもりだが。
けっきょく僕自身が教えを乞うた授業時間となった気がする。
河口先生、本日は御講義ありがとうございました。
(こんな場所でブログ中ですが、あらためて感謝申し上げます)
★『ぬぐ絵画 日本のヌード1880-1945』 [骨・美術解剖学・身体]
★『 ぬぐ絵画 日本のヌード1880-1945』@東京国立近代美術館
新嘗祭のきょうは“はだか”の絵を見に竹橋へ行くことにした。
“はだか”とひらがなを多用しているが、英文表記は“Undressing”=ぬぐ、である。
なので「ぬぐ絵画」ということ。そしてヌードを問題にしている。
★さて、展覧会は::
五姓田義松、ラグーザ玉、狩野芳崖、の裸体油画の初期/小展示室、
工部美術学校、黒田清輝、安井曾太郎、の素描・油画/ギャラリー、
このあたりまでは行き詰まる展開。
ギャラリーはww.を基本に、油画のところはスポットを照射している。
小作品などの個所のみ「穴あきブラックホイル」入り光制御スポットを使用。
そして《智・感・情》がドーンと見えてきて、思わず溜め息。
東京国立博物館(黒田記念館)と、東京藝術大学所蔵作品が順に並び、
《裸体婦人像》静嘉堂文庫あたりで少しホッとしながら、
白木で作られたベンチに腰掛け《智・感・情》大作を眺める。
ベンチや結界は、Undressingにかけたのか、
白木と白ロープが使われている。(展示デザインは西澤徹夫氏)
仮設の壁面構成もうまい。開口部から次の部屋へのうまい見せ方だ。
あとの展示は、しっかり見ながらもザーッと流す。
明治初期からの美術教育を含む裸体画描写を見ることで、
東京国立近代美術館の所蔵作品も新鮮に見えて楽しむことができる。
★「所蔵作品展」に寄る。
東近美所蔵の、“はだか”が多く展示されていて楽しい。
特別展と平常展の連携の妙だろう。
2点の油画に圧倒された。
《風景の中の女》デ・クーニング、 ウィレム
《スフィンクス-ミュリエル・ベルチャーの肖像》ベーコン、 フランシス
なーんだ。
明治以来の日本の「ぬぐ絵画」は何を教育したのだろう。
デ・クーニングとベーコンの人間/人物描写に及ばない有様に感じた。
そう思う必要は無いのだが、本質的にやはりちがうものなのか。。
人間/ヒトの存在について考えること。
人とは何か、について教育することの可能性。
人のかたちの学びの、明治以降の変遷を辿るこの展覧会を見ることで、
まことに有意義な「勤労感謝の日」の時間をすごすことができた。
★2階/高松次郎の《No.273(影)》のその壁面だけが、
ERCOのLEDスポットで照明されていた。
隣の壁面は榎倉康二の《干渉(STORY-No.18)》。
隅の光をよく見ると色温度が異なる。(写真で写るだろうか?)
両壁面ともなぜか死を匂わせる。
★展覧会を見終えてショプで購入したカタログを読む。
企画・構成を担当された、蔵屋美香さんの文章がオモシロい!
美術学校で鷗外〜久米にひきつがれる「美術解剖学」にも言及されている。
美術解剖学について、あらためて検討しつつ・・・
新嘗祭のきょうは“はだか”の絵を見に竹橋へ行くことにした。
“はだか”とひらがなを多用しているが、英文表記は“Undressing”=ぬぐ、である。
なので「ぬぐ絵画」ということ。そしてヌードを問題にしている。
★さて、展覧会は::
五姓田義松、ラグーザ玉、狩野芳崖、の裸体油画の初期/小展示室、
工部美術学校、黒田清輝、安井曾太郎、の素描・油画/ギャラリー、
このあたりまでは行き詰まる展開。
ギャラリーはww.を基本に、油画のところはスポットを照射している。
小作品などの個所のみ「穴あきブラックホイル」入り光制御スポットを使用。
そして《智・感・情》がドーンと見えてきて、思わず溜め息。
東京国立博物館(黒田記念館)と、東京藝術大学所蔵作品が順に並び、
《裸体婦人像》静嘉堂文庫あたりで少しホッとしながら、
白木で作られたベンチに腰掛け《智・感・情》大作を眺める。
ベンチや結界は、Undressingにかけたのか、
白木と白ロープが使われている。(展示デザインは西澤徹夫氏)
仮設の壁面構成もうまい。開口部から次の部屋へのうまい見せ方だ。
あとの展示は、しっかり見ながらもザーッと流す。
明治初期からの美術教育を含む裸体画描写を見ることで、
東京国立近代美術館の所蔵作品も新鮮に見えて楽しむことができる。
★「所蔵作品展」に寄る。
東近美所蔵の、“はだか”が多く展示されていて楽しい。
特別展と平常展の連携の妙だろう。
2点の油画に圧倒された。
《風景の中の女》デ・クーニング、 ウィレム
《スフィンクス-ミュリエル・ベルチャーの肖像》ベーコン、 フランシス
なーんだ。
明治以来の日本の「ぬぐ絵画」は何を教育したのだろう。
デ・クーニングとベーコンの人間/人物描写に及ばない有様に感じた。
そう思う必要は無いのだが、本質的にやはりちがうものなのか。。
人間/ヒトの存在について考えること。
人とは何か、について教育することの可能性。
人のかたちの学びの、明治以降の変遷を辿るこの展覧会を見ることで、
まことに有意義な「勤労感謝の日」の時間をすごすことができた。
★2階/高松次郎の《No.273(影)》のその壁面だけが、
ERCOのLEDスポットで照明されていた。
隣の壁面は榎倉康二の《干渉(STORY-No.18)》。
隅の光をよく見ると色温度が異なる。(写真で写るだろうか?)
両壁面ともなぜか死を匂わせる。
★展覧会を見終えてショプで購入したカタログを読む。
企画・構成を担当された、蔵屋美香さんの文章がオモシロい!
美術学校で鷗外〜久米にひきつがれる「美術解剖学」にも言及されている。
美術解剖学について、あらためて検討しつつ・・・
★美術館のルーツ【油絵茶屋再現 ―日本で初めて行われた油絵の展覧会を再現!】 [展覧会・アートイベント etc.]
★【油絵茶屋再現】を見に行く。
きょうは出勤日。昼休みにちょっと浅草へ。
ベスパのエンジンは、今日の空のようにヌケて、調子がいい。
スカイツリーとの対比は、現代の錦絵のよう
近代西洋画=油絵なるものを語る上で、これは必見のプロジェクトだ。
11月15日(火)まで。お見逃しなくd(^_^o)
ということで、噂の【油絵茶屋再現―日本で初めて行われた油絵の展覧会を再現!】を、
うずうずしつつ、やっと見に行く事ができた!
★会場で配布されている、このチラシがじつによい!
http://www.oooka.org/aburae/teahouseoilpainting-s.pdf
口上書き:東大・木下直之先生の解説を参照。
日本においての油画のルーツ、というよりこれを展示する場への希求と模索。
その都市空間としての浅草。(藝大受験時代を過ごした街でもある)
アートの中心地が万博都市=上野へ移動するまでの時代に、
浅草は「絵画を見るための場」が存在する街だったのである。
不思議なコンテンポラリー絵画に見えなくもない
絵画を見る事。また絵画そのものの意味と価値とは?見せ物としての絵画。。
そのことを自覚的に呼び起こすプロジェクトに、
小沢剛と藝大油画専攻の学生が、マジメにトライするという。
この雰囲気は、見慣れるとクセになりそうだ。
★関連ブログ
9月8日の『トークセッション「見世」る芸術 ~江戸パフォーミングアートから現代美術まで 』
http://shiseiology007.blog.so-net.ne.jp/2011-09-08
きょうは出勤日。昼休みにちょっと浅草へ。
ベスパのエンジンは、今日の空のようにヌケて、調子がいい。
スカイツリーとの対比は、現代の錦絵のよう
近代西洋画=油絵なるものを語る上で、これは必見のプロジェクトだ。
11月15日(火)まで。お見逃しなくd(^_^o)
ということで、噂の【油絵茶屋再現―日本で初めて行われた油絵の展覧会を再現!】を、
うずうずしつつ、やっと見に行く事ができた!
★会場で配布されている、このチラシがじつによい!
http://www.oooka.org/aburae/teahouseoilpainting-s.pdf
口上書き:東大・木下直之先生の解説を参照。
日本においての油画のルーツ、というよりこれを展示する場への希求と模索。
その都市空間としての浅草。(藝大受験時代を過ごした街でもある)
アートの中心地が万博都市=上野へ移動するまでの時代に、
浅草は「絵画を見るための場」が存在する街だったのである。
不思議なコンテンポラリー絵画に見えなくもない
絵画を見る事。また絵画そのものの意味と価値とは?見せ物としての絵画。。
そのことを自覚的に呼び起こすプロジェクトに、
小沢剛と藝大油画専攻の学生が、マジメにトライするという。
この雰囲気は、見慣れるとクセになりそうだ。
★関連ブログ
9月8日の『トークセッション「見世」る芸術 ~江戸パフォーミングアートから現代美術まで 』
http://shiseiology007.blog.so-net.ne.jp/2011-09-08
★ザビエル/桜島フェリー/上野原縄文の森 [都市・街・公園・光・風景]
★ 桜島フェリー乗り場へ向かう途中で、
《キリスト教伝来の地》サインを見つけたので立ち寄り。
アーチ形の門と石壁の一部のようなモニュメントが立つ。
これは当時の教会の一部らしい。
目につくはず、安っぽくないホンモノの雰囲気が漂っている。
3人の像は、フランシスコ・ザビエル、ヤジロウ、ベルナンド。
ぼくはキリスト者ではないが、今はないみこころ幼稚園はカトリック系だった。
1549年にザビエルが訪れた鹿児島。その由来の地はなんだか見過ごせない気がした。
★クルマ(シルバーのヴィッツ)ごとフェリーに乗船。15分ほどで桜島に到着。
1,070円を上陸時に支払う。
とりあえずビジターセンターでビデオ10分間見て予習。
よくわからんがナビとカンに頼ってドライブするか。。。
南岳 噴火はしていないが火山灰はモクモクしている。
活火山である。
★フェリーに戻ろうかと思っていたら、島の南側を走る国道58(224)をはずれて、
国道220に乗って桜島をはなれ、北回りで鹿児島空港に行くルートに変更。
なかなかいい風景の道だった。
海沿いの道で数カ所、墓所を見かけてクルマを降りる。
どの墓にも立派な屋根がついている。桜島からの火山灰よけのようだ。
これぞ当地流の死者へのまつりかたのスタイルと見えた。
《上野原 縄文の森》という交通サインを目にした。
時間は余裕がありそうなのでハンドルを切る。
山の上に立派な、比較的新しく作られたとみられる施設があった。
見どころは・・・どうも予算の組み方に納得がいかない。
金はふんだんにつぎ込まれているように見えるんだが、
面白くしようと工夫したようだが、かえって逆効果。
残念な感じが漂っている。
例:堀木エリ子さんの和紙ドームは違う気がする。(作家として嫌いではないが)
展示館の重文・縄文土器を見る。
すばらしい。
さて鹿児島空港にもどるか。くたびれた。
西郷どんの像は、クルマから市中と空港近くの公園で、2回見かけた。。
《キリスト教伝来の地》サインを見つけたので立ち寄り。
アーチ形の門と石壁の一部のようなモニュメントが立つ。
これは当時の教会の一部らしい。
目につくはず、安っぽくないホンモノの雰囲気が漂っている。
3人の像は、フランシスコ・ザビエル、ヤジロウ、ベルナンド。
ぼくはキリスト者ではないが、今はないみこころ幼稚園はカトリック系だった。
1549年にザビエルが訪れた鹿児島。その由来の地はなんだか見過ごせない気がした。
★クルマ(シルバーのヴィッツ)ごとフェリーに乗船。15分ほどで桜島に到着。
1,070円を上陸時に支払う。
とりあえずビジターセンターでビデオ10分間見て予習。
よくわからんがナビとカンに頼ってドライブするか。。。
南岳 噴火はしていないが火山灰はモクモクしている。
活火山である。
★フェリーに戻ろうかと思っていたら、島の南側を走る国道58(224)をはずれて、
国道220に乗って桜島をはなれ、北回りで鹿児島空港に行くルートに変更。
なかなかいい風景の道だった。
海沿いの道で数カ所、墓所を見かけてクルマを降りる。
どの墓にも立派な屋根がついている。桜島からの火山灰よけのようだ。
これぞ当地流の死者へのまつりかたのスタイルと見えた。
《上野原 縄文の森》という交通サインを目にした。
時間は余裕がありそうなのでハンドルを切る。
山の上に立派な、比較的新しく作られたとみられる施設があった。
見どころは・・・どうも予算の組み方に納得がいかない。
金はふんだんにつぎ込まれているように見えるんだが、
面白くしようと工夫したようだが、かえって逆効果。
残念な感じが漂っている。
例:堀木エリ子さんの和紙ドームは違う気がする。(作家として嫌いではないが)
展示館の重文・縄文土器を見る。
すばらしい。
さて鹿児島空港にもどるか。くたびれた。
西郷どんの像は、クルマから市中と空港近くの公園で、2回見かけた。。
★渋谷西武とTAROLOVE;寄り道アートな街 [展覧会・アートイベント etc.]
★先日寄った ミヅマアートギャラリーでもらってきた招待券を手に渋谷へ。
「 TAROLOVE展 岡本太郎と14人の遺伝子」
最近の渋谷西武は、アート/デザイン/ファッションによる仕掛けが続いている。
街中でフラッと立ち寄ったところに、現代美術がある、というのはいいものだ。
※現代美術なんて大げさに言わなくてもよい
山口晃のひねったユーモアの奥にある絵画分析は楽しい。
日本絵画「洛中洛外図」をあえて遠近法で再構築した実験的コラージュ。
絵は何の役に立つのか —絵はいろいろと役に立つのである。
鴻池朋子さんの六足オオカミのミラー反射光を隠すと、
確かな体躯の中の筋肉の動きに透けて見える造形力は発見だった。
顔の骨格までがしっかり読めてくる。
会田誠の、比較的古いペインティングも悪くなかった。
★無印良品などに寄り、ついいろいろ買い物してしまった///
アートを扱うことで集客し、新しい顧客層開拓する。
昔のセゾングループ/西武美術館と、アーティストとの関係が復活か!?
バブルではなく・・しっかりと生活に根差す。寄り道アートな街コンセプト。
まあ岡本太郎じゃなくて、もっと奥深い展開にも期待だ。。
「 TAROLOVE展 岡本太郎と14人の遺伝子」
最近の渋谷西武は、アート/デザイン/ファッションによる仕掛けが続いている。
街中でフラッと立ち寄ったところに、現代美術がある、というのはいいものだ。
※現代美術なんて大げさに言わなくてもよい
山口晃のひねったユーモアの奥にある絵画分析は楽しい。
日本絵画「洛中洛外図」をあえて遠近法で再構築した実験的コラージュ。
絵は何の役に立つのか —絵はいろいろと役に立つのである。
鴻池朋子さんの六足オオカミのミラー反射光を隠すと、
確かな体躯の中の筋肉の動きに透けて見える造形力は発見だった。
顔の骨格までがしっかり読めてくる。
会田誠の、比較的古いペインティングも悪くなかった。
★無印良品などに寄り、ついいろいろ買い物してしまった///
アートを扱うことで集客し、新しい顧客層開拓する。
昔のセゾングループ/西武美術館と、アーティストとの関係が復活か!?
バブルではなく・・しっかりと生活に根差す。寄り道アートな街コンセプト。
まあ岡本太郎じゃなくて、もっと奥深い展開にも期待だ。。