★ MOTOMI KAWAKAMI CHRONICLE 1966-2011 [展覧会・アートイベント etc.]
★川上元美先生の展覧会 @新宿パークタワーOZONEへ。
MOTOMI KAWAKAMI CHRONICLE 1966-2011
エントランス、椅子が展示された神域のような円形の結界を超えて、
ベニヤ板で作られたユニットで構成された展示会場へ、、、
迷路のようだが明確な意図をもった、スケール/寸法が計算されつくした動線。
(3.11以後ベニヤは贅沢な材料である。会場では勿論、高品質な材が使われています)
80年代以前の、手書き図面に息をのむ。
テニスラケットと、ガットを張る技術を応用したヤマハ製のチェア。
見ているうちに、KANNOKAI(環の会)の集合時間17:00になり、
そこから先生の解説つきでの作品鑑賞スタート。
(先輩、作品にお手をふれちゃいけませんって!)
ぼく自身の80年代後半の学生時代は、
建築も都市もデザインも「ポストモダン」全盛。
流行の波に飲み込まれて、バブルに溺れていたが、
展覧会の作品をあらためて見ていて、「モダンの強さ」に圧倒された。
あっ、このセラミックの箸置きは家で使ってる。(不覚にも知らなかった・・)
柔らかさを感じさせつつ、シャープなエッジが見事なデザインだ。
なにげない日常の中で使われて、それが手に触れ、
いつのまにか生活の質を向上させている、
それがデザインの王道なのだろう。
博物館においても見習わなくてはいけない、と自戒をこめて考える。
見学会後、先生に、いまだからこそ聞ける質問を試みた。
「会場の解説のなかに、マンジャロッティとソットサスのオフィスが、
隣接していたとありましたが、
交流のようなものはあったのでしょうか?」と、
「いや〜、そういうものはなかったなぁ・・・」とのお答えに納得(笑)
学生時代、ソットサスなどのデザインをはじめ、
国内の“ポストモダン”竣工建築を見て回り、
“脱構築”などの書籍を読みあさり、その時代の空気に影響された自分。
しかしそれをデザインとしては消化/昇華できずにいた・・・(暗黒じだい)
当時、磯崎新(数々)、隈研吾(M2!、ドーリック)、丹下健三(都庁舎)・・・
建築家は巧みなロジックでポストモダン/脱構築だったが、
あれは何だったのだろう・・?(と、我が身をふりかえる)
☆展覧会図録の川上先生のコメントを読んで、その重さにビーン!としびれた。(抜粋)
1980年(40才)〜
「この時代は私なりのポストモダンに挑戦した時期だった」
1990年(50才)〜
「私は、デザインとは、根無し草のように時代とともに浮遊するものでは無く、
個を超えてある普遍に至りながらも、なお個が貫かれているものと解釈している」
現在
「最近はモノだけでなくコトもデザインしたいと思っている。若い頃は最終的に形
にならないと嫌だったけれど、今は・・・」(後半略)
※その後イタリアンレストランで先生を囲んで、
☆この「手」が名作の数々を生んだのである。
諸先輩と研究室OB、教官がいっしょの飲み会が盛り上がる〜
お開きは三本締め&全員記念撮影。
※名作イス「BRITZ / TUNE」は、
トーハクの展示室でもご覧いただけます ♪(´ε` )
MOTOMI KAWAKAMI CHRONICLE 1966-2011
エントランス、椅子が展示された神域のような円形の結界を超えて、
ベニヤ板で作られたユニットで構成された展示会場へ、、、
迷路のようだが明確な意図をもった、スケール/寸法が計算されつくした動線。
(3.11以後ベニヤは贅沢な材料である。会場では勿論、高品質な材が使われています)
80年代以前の、手書き図面に息をのむ。
テニスラケットと、ガットを張る技術を応用したヤマハ製のチェア。
見ているうちに、KANNOKAI(環の会)の集合時間17:00になり、
そこから先生の解説つきでの作品鑑賞スタート。
(先輩、作品にお手をふれちゃいけませんって!)
ぼく自身の80年代後半の学生時代は、
建築も都市もデザインも「ポストモダン」全盛。
流行の波に飲み込まれて、バブルに溺れていたが、
展覧会の作品をあらためて見ていて、「モダンの強さ」に圧倒された。
あっ、このセラミックの箸置きは家で使ってる。(不覚にも知らなかった・・)
柔らかさを感じさせつつ、シャープなエッジが見事なデザインだ。
なにげない日常の中で使われて、それが手に触れ、
いつのまにか生活の質を向上させている、
それがデザインの王道なのだろう。
博物館においても見習わなくてはいけない、と自戒をこめて考える。
見学会後、先生に、いまだからこそ聞ける質問を試みた。
「会場の解説のなかに、マンジャロッティとソットサスのオフィスが、
隣接していたとありましたが、
交流のようなものはあったのでしょうか?」と、
「いや〜、そういうものはなかったなぁ・・・」とのお答えに納得(笑)
学生時代、ソットサスなどのデザインをはじめ、
国内の“ポストモダン”竣工建築を見て回り、
“脱構築”などの書籍を読みあさり、その時代の空気に影響された自分。
しかしそれをデザインとしては消化/昇華できずにいた・・・(暗黒じだい)
当時、磯崎新(数々)、隈研吾(M2!、ドーリック)、丹下健三(都庁舎)・・・
建築家は巧みなロジックでポストモダン/脱構築だったが、
あれは何だったのだろう・・?(と、我が身をふりかえる)
☆展覧会図録の川上先生のコメントを読んで、その重さにビーン!としびれた。(抜粋)
1980年(40才)〜
「この時代は私なりのポストモダンに挑戦した時期だった」
1990年(50才)〜
「私は、デザインとは、根無し草のように時代とともに浮遊するものでは無く、
個を超えてある普遍に至りながらも、なお個が貫かれているものと解釈している」
現在
「最近はモノだけでなくコトもデザインしたいと思っている。若い頃は最終的に形
にならないと嫌だったけれど、今は・・・」(後半略)
※その後イタリアンレストランで先生を囲んで、
☆この「手」が名作の数々を生んだのである。
諸先輩と研究室OB、教官がいっしょの飲み会が盛り上がる〜
お開きは三本締め&全員記念撮影。
※名作イス「BRITZ / TUNE」は、
トーハクの展示室でもご覧いただけます ♪(´ε` )