★VOCA展 必見! [展覧会・アートイベント etc.]
★昼休みに VOCA展、上野の森美術館へ
今年はこの展覧会を、いつになく楽しみな気分で見た。
3月14日のレセプションは、3月11日の大震災のため行なわれなかった。
その後、上野公園内の美術館・博物館、動物園は、
どこも閉館/閉園しているか、限定しての開館なため、
いま開館/開催している展覧会はこの美術館のみなのである。
美術館学芸員の坂元さんを訪ねて、展覧会を案内していただいた。
現代の感性を体現し、未来を予見させる才能の萌芽について、
作家や評者の言葉を借りながら、表現形式や技術論的な観点から読み取りつつ、
ひとつひとつの作品を見て歩をすすめる。
石塚源太の漆、安藤由佳子の新聞紙、熊澤未来子の鉛筆、
上田暁子 伊藤遠平 戸谷森 小池真奈美の油彩、
大竹司のアクリル、コバヤシ麻衣子のミクストメディア、
沢田明子の岩絵具・・・それぞれ基底材も異なっているが、おもしろい。
僕が賞を選ぶとしたら・・・水田寛の「マンション 15」(油彩、カンヴァス)かな。
現代的といえる“フワフワ感”は薄いが、安定感のある描写力を感じる。
難しいことをいわなければ、まあ好みの作風、というところ。
★上野の森美術館の展示室構成は、穴蔵トンネルのようなアプローチから、
パッと開けた天高のある大空間、落ちついた小空間、
階段を上がって大小変化のある壁面構成、見晴らしの良いスロープを下って、
最後の壁へ・・・その壁面と照明の変化に応じた作品を配置構成している。
僕はこの美術館で公募展や書道展を見たことがないが、
この空間ボリューム展開を気に入っている。
★上野の森美術館ギャラリーの「日野之彦 —そこにあるもの」を見る。
人体、身体の描き方としては、東京藝大で教育される描き方とは異なる。
その点については図録の論文に解説されている。
《闇の奥へ、分け入りながら進め》
「ところで、画家の自画像として思い出すのが東京藝術大学の伝統だ。
1898年より学生が卒業時に自画像を制作し、大学に提出する。
この伝統のきっかけをつくたのは・・・(略)」
要するに、この描かれた身体に命が宿っているかどうか、呼吸しているかどうか?
血は通っているが、死んでいる。
と僕はみているのだが。
それが現代の生、なのかもしれない。
★夜は茶の稽古へ。
菓子をいただいて、薄茶を二服いただいた。
地震以来、この瞬間は、なんだか生の側に戻ってくる感がある。
今年はこの展覧会を、いつになく楽しみな気分で見た。
3月14日のレセプションは、3月11日の大震災のため行なわれなかった。
その後、上野公園内の美術館・博物館、動物園は、
どこも閉館/閉園しているか、限定しての開館なため、
いま開館/開催している展覧会はこの美術館のみなのである。
美術館学芸員の坂元さんを訪ねて、展覧会を案内していただいた。
現代の感性を体現し、未来を予見させる才能の萌芽について、
作家や評者の言葉を借りながら、表現形式や技術論的な観点から読み取りつつ、
ひとつひとつの作品を見て歩をすすめる。
石塚源太の漆、安藤由佳子の新聞紙、熊澤未来子の鉛筆、
上田暁子 伊藤遠平 戸谷森 小池真奈美の油彩、
大竹司のアクリル、コバヤシ麻衣子のミクストメディア、
沢田明子の岩絵具・・・それぞれ基底材も異なっているが、おもしろい。
僕が賞を選ぶとしたら・・・水田寛の「マンション 15」(油彩、カンヴァス)かな。
現代的といえる“フワフワ感”は薄いが、安定感のある描写力を感じる。
難しいことをいわなければ、まあ好みの作風、というところ。
★上野の森美術館の展示室構成は、穴蔵トンネルのようなアプローチから、
パッと開けた天高のある大空間、落ちついた小空間、
階段を上がって大小変化のある壁面構成、見晴らしの良いスロープを下って、
最後の壁へ・・・その壁面と照明の変化に応じた作品を配置構成している。
僕はこの美術館で公募展や書道展を見たことがないが、
この空間ボリューム展開を気に入っている。
★上野の森美術館ギャラリーの「日野之彦 —そこにあるもの」を見る。
人体、身体の描き方としては、東京藝大で教育される描き方とは異なる。
その点については図録の論文に解説されている。
《闇の奥へ、分け入りながら進め》
「ところで、画家の自画像として思い出すのが東京藝術大学の伝統だ。
1898年より学生が卒業時に自画像を制作し、大学に提出する。
この伝統のきっかけをつくたのは・・・(略)」
要するに、この描かれた身体に命が宿っているかどうか、呼吸しているかどうか?
血は通っているが、死んでいる。
と僕はみているのだが。
それが現代の生、なのかもしれない。
★夜は茶の稽古へ。
菓子をいただいて、薄茶を二服いただいた。
地震以来、この瞬間は、なんだか生の側に戻ってくる感がある。