★『東京国立博物館本館 —モザイク装飾を読み解く』 [博物館・美術館]
★ まことにためになる講演会だった。
上野ミュージアムウィーク ―「国際博物館の日」記念事業2010―
「東京国立博物館本館—モザイク装飾を読み解く」@東京国立博物館 大講堂
講 師
・坂井編集企画事務所 坂井 基樹 氏
・左官工 久住 有生 氏
・INAXミュージアム活動推進室室長/ものづくり工房室長 後藤 泰男 氏
『ゆらぎ モザイク考―粒子の日本美』 INAX出版
INAXミュージアムで、2009年1月10日(土)~6月16日(火)に開催された展覧会
ゆらぎ モザイク考 ―粒子の日本美には残念ながら行けなかったが、
講演会はこの展覧会で部分再現されたモザイク壁面の制作プロセスの流れにそって進行。
※展覧会で再現されたモザイク壁が素晴らしい出来!
復興本館(東京帝室博物館)が、日本の伝統技術と手のわざの粋を結集して作られた事が、
現在に残る休憩室(現ラウンジ)の壁面装飾を再現することで明らかにされてゆく。
→ http://www.inax.co.jp/company/news/2009/070_culture_0119_363.html
本館の自然採光利用の照明に関する設計については、
以前共同執筆した 『昭和初期の博物館建築―東京博物館と東京帝室博物館』に書いたが、
照明だけでなく、構造・設備・工法・意匠の全てにおいて当時の最高の英知が結集している。
左官工の久住氏の話がおもしろい。
特に漆喰を最後に仕上げる段階で、先人がどのようにこの壁を作ったのか観察し、
試行錯誤しながら最終的に“ささら”のような道具で仕上げることを選択する。
これはもう職人の域を超えて、かなりクリエイティブの域に達している作業だ。
しかしフィニッシュは、全体として個人的な作為を押さえ込んでいく葛藤を語る
・・・照明の仕上げ作業と一緒だと感じた。エゴを押さえ込むのである。
実は恥ずかしながら、この部屋のモザイク!?は、いわゆる正統なモザイクではないので、
タイルを少なく漆喰壁をスクラッチ表現にして、簡略に仕上げたものだと思っていたのだが、
これが今回の講演会で、たいへんな勘違いをしていることがわかった。
むしろタイルで埋め尽くす表現よりも、難しいデザインと施工技術なのだ!
また、実施設計のスケッチ(青図)はあるが、当時の職人の創意工夫で出来たのではないか?
という当初の見解に反して、当時の発注仕様書?を読むと、材料の混合割合なども
詳細に記録されているのが紹介されていた。今度資料を読み直してみよう。
“洋”の知の結集が、“和”の伝統技術によって現実の建物になっているところが、
この本館の「近代和風」としての本質なのだということを、あらためて実感することができた。
★つづきがある。
講演会終了後、参加者は本館のモザイクのあるラウンジの部屋に移動。
ここで今回の進行をされた坂井氏にご挨拶。(僕の事をすでにご存知だったようで恐縮)
また、帝室博物館の実施設計にあたった、宮内省内匠寮・雪野元吉のご子息である、
雪野 潔氏にもお会いするという、まことに光栄な機会にも恵まれたのである。
雪野元吉氏は東京美術学校の図案科2部(建築)、雪野潔氏は東京藝大建築科出身とのこと。
デザイン科も図案科であるから、つい母校の先輩ということで親近感を抱いてしまった。
僕は今でも雪野の印の押された復興本館の図面を引いては仕事をすることもある・・・。
明治から昭和初期の美術学校出身といえば、建築の世界では帝大の建築家こそが、
“the architect”の時代であるから、帝室博物館建設の議事録でも、
伊東忠太を始めとする帝大系の名は有るが、内匠寮の現場の設計者の名は表に出ない。
しかし雪野の筆になる優美な装飾美に比せば、伊東のあの趣味はどうかと///それはまた別の議論で。
★家に戻って雑誌を整理してたら、こんなファッション雑誌が、、
東博本館ラウンジのモザイクをバックに稲垣吾郎が表紙:MR・2000年8月号
そういえば僕も何かの雑誌取材の時、ここで撮影したな。
ずいぶん吾郎ちゃんとは違うけど///
上野ミュージアムウィーク ―「国際博物館の日」記念事業2010―
「東京国立博物館本館—モザイク装飾を読み解く」@東京国立博物館 大講堂
講 師
・坂井編集企画事務所 坂井 基樹 氏
・左官工 久住 有生 氏
・INAXミュージアム活動推進室室長/ものづくり工房室長 後藤 泰男 氏
『ゆらぎ モザイク考―粒子の日本美』 INAX出版
INAXミュージアムで、2009年1月10日(土)~6月16日(火)に開催された展覧会
ゆらぎ モザイク考 ―粒子の日本美には残念ながら行けなかったが、
講演会はこの展覧会で部分再現されたモザイク壁面の制作プロセスの流れにそって進行。
※展覧会で再現されたモザイク壁が素晴らしい出来!
復興本館(東京帝室博物館)が、日本の伝統技術と手のわざの粋を結集して作られた事が、
現在に残る休憩室(現ラウンジ)の壁面装飾を再現することで明らかにされてゆく。
→ http://www.inax.co.jp/company/news/2009/070_culture_0119_363.html
本館の自然採光利用の照明に関する設計については、
以前共同執筆した 『昭和初期の博物館建築―東京博物館と東京帝室博物館』に書いたが、
照明だけでなく、構造・設備・工法・意匠の全てにおいて当時の最高の英知が結集している。
左官工の久住氏の話がおもしろい。
特に漆喰を最後に仕上げる段階で、先人がどのようにこの壁を作ったのか観察し、
試行錯誤しながら最終的に“ささら”のような道具で仕上げることを選択する。
これはもう職人の域を超えて、かなりクリエイティブの域に達している作業だ。
しかしフィニッシュは、全体として個人的な作為を押さえ込んでいく葛藤を語る
・・・照明の仕上げ作業と一緒だと感じた。エゴを押さえ込むのである。
実は恥ずかしながら、この部屋のモザイク!?は、いわゆる正統なモザイクではないので、
タイルを少なく漆喰壁をスクラッチ表現にして、簡略に仕上げたものだと思っていたのだが、
これが今回の講演会で、たいへんな勘違いをしていることがわかった。
むしろタイルで埋め尽くす表現よりも、難しいデザインと施工技術なのだ!
また、実施設計のスケッチ(青図)はあるが、当時の職人の創意工夫で出来たのではないか?
という当初の見解に反して、当時の発注仕様書?を読むと、材料の混合割合なども
詳細に記録されているのが紹介されていた。今度資料を読み直してみよう。
“洋”の知の結集が、“和”の伝統技術によって現実の建物になっているところが、
この本館の「近代和風」としての本質なのだということを、あらためて実感することができた。
★つづきがある。
講演会終了後、参加者は本館のモザイクのあるラウンジの部屋に移動。
ここで今回の進行をされた坂井氏にご挨拶。(僕の事をすでにご存知だったようで恐縮)
また、帝室博物館の実施設計にあたった、宮内省内匠寮・雪野元吉のご子息である、
雪野 潔氏にもお会いするという、まことに光栄な機会にも恵まれたのである。
雪野元吉氏は東京美術学校の図案科2部(建築)、雪野潔氏は東京藝大建築科出身とのこと。
デザイン科も図案科であるから、つい母校の先輩ということで親近感を抱いてしまった。
僕は今でも雪野の印の押された復興本館の図面を引いては仕事をすることもある・・・。
明治から昭和初期の美術学校出身といえば、建築の世界では帝大の建築家こそが、
“the architect”の時代であるから、帝室博物館建設の議事録でも、
伊東忠太を始めとする帝大系の名は有るが、内匠寮の現場の設計者の名は表に出ない。
しかし雪野の筆になる優美な装飾美に比せば、伊東のあの趣味はどうかと///それはまた別の議論で。
★家に戻って雑誌を整理してたら、こんなファッション雑誌が、、
東博本館ラウンジのモザイクをバックに稲垣吾郎が表紙:MR・2000年8月号
そういえば僕も何かの雑誌取材の時、ここで撮影したな。
ずいぶん吾郎ちゃんとは違うけど///