★ 躾 in ROCKET [展覧会・アートイベント etc.]
★ 「躾」
読書宿題をこなしに街に出た。
facebookに案内が来ていた展覧会へ寄る、、
以前働いていた 事務所の近所はすっかり様子が変わっていて、
ROCKETをようやく見つけて、重いドアを開けるとイイ空間。
見上げると、ししやまざき作・黒い身体。
たしか養老孟司先生の本だったと思うが、
身の処し方なっていない=躾を忘れた日本人の身体、といわれる現代若者。
その問題に正面から取り組んだ!?・・かもしれない4人の展覧会。
2人の作家本人と会って、躾がよろしい話を聞けた。
毎日“ MASK”をつづけていることは知っていたが、実物は初めて見た。
しっかりと壁に黒クギで打ち付けてある。
あのくらい強く固定しないと、アッという間に飛び去ってしまうのだろう。
こちらがメス形ということらしい。尻尾があるように見える。
他の2人が仏教的、基督教的な作風で、
御田神社の近くという事は関係ないが、
対して、神道的な造形、は偶然らしい。
===============================
“聖アンナと聖母子”模写と、その立体化を作品にした重松優志さんの作品。
模写は、ダ・ヴィンチ独特の空気感をよく捉えている、と感ぜられる。
彼があのミケランジェロ/ガチャポン原型を作ったというが、
さすが!?芸大らしいアカデミックな軽やかさのある造形力か。
こちらはなんとブロンズ、重い!この重さはつい欲しくなる(笑)
ぜひナショナルギャラリー(ロンドン)へ。。
あのレオナルドのカルトンを前にすると動けなくなる。(経験アリ)
今後の活動に期待。。
=============================
キャットストリート近くのスタバに入って、『方眼美術論』久米桂一郎を読む。
〈裸体は美術の基礎〉など読み進めつつ、
かつて芸大デザイン科で受けたデザイン教育が頭をかすめる。
ヌードデッサン、裸体模刻と石膏取り、は当然のように思えた基礎的課題だったが、
現在のデザイン科の課題プログラムでは、それはもう無いらしい。
明治の美術学校で鷗外、久米、黒田が目指した美術教育は一端その使命を終えて、
デザイン科や建築科においては、次の時代を迎えているということなのだろう。
欧米のデザイン教育では、デザインはアートからは明確に分離されているという。
宗教から学問が、教会から大学がしっかりと決別を宣言したように。
この日本でもそんなデザインの萌芽があるのかもしれない。
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読書宿題をこなしに街に出た。
facebookに案内が来ていた展覧会へ寄る、、
以前働いていた 事務所の近所はすっかり様子が変わっていて、
ROCKETをようやく見つけて、重いドアを開けるとイイ空間。
見上げると、ししやまざき作・黒い身体。
たしか養老孟司先生の本だったと思うが、
身の処し方なっていない=躾を忘れた日本人の身体、といわれる現代若者。
その問題に正面から取り組んだ!?・・かもしれない4人の展覧会。
2人の作家本人と会って、躾がよろしい話を聞けた。
毎日“ MASK”をつづけていることは知っていたが、実物は初めて見た。
しっかりと壁に黒クギで打ち付けてある。
あのくらい強く固定しないと、アッという間に飛び去ってしまうのだろう。
こちらがメス形ということらしい。尻尾があるように見える。
他の2人が仏教的、基督教的な作風で、
御田神社の近くという事は関係ないが、
対して、神道的な造形、は偶然らしい。
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“聖アンナと聖母子”模写と、その立体化を作品にした重松優志さんの作品。
模写は、ダ・ヴィンチ独特の空気感をよく捉えている、と感ぜられる。
彼があのミケランジェロ/ガチャポン原型を作ったというが、
さすが!?芸大らしいアカデミックな軽やかさのある造形力か。
こちらはなんとブロンズ、重い!この重さはつい欲しくなる(笑)
ぜひナショナルギャラリー(ロンドン)へ。。
あのレオナルドのカルトンを前にすると動けなくなる。(経験アリ)
今後の活動に期待。。
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キャットストリート近くのスタバに入って、『方眼美術論』久米桂一郎を読む。
〈裸体は美術の基礎〉など読み進めつつ、
かつて芸大デザイン科で受けたデザイン教育が頭をかすめる。
ヌードデッサン、裸体模刻と石膏取り、は当然のように思えた基礎的課題だったが、
現在のデザイン科の課題プログラムでは、それはもう無いらしい。
明治の美術学校で鷗外、久米、黒田が目指した美術教育は一端その使命を終えて、
デザイン科や建築科においては、次の時代を迎えているということなのだろう。
欧米のデザイン教育では、デザインはアートからは明確に分離されているという。
宗教から学問が、教会から大学がしっかりと決別を宣言したように。
この日本でもそんなデザインの萌芽があるのかもしれない。
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