★『メタボリズムの未来都市展 戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン』 [展覧会・アートイベント etc.]
★森美術館 メタボリズムの未来都市展 戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン 内覧会へ行ってきた。
いま分厚くて重い図録を見ながら、色んな事をわりと複雑に考え中。
以下は展覧会後のつぶやき。
★《メタボリズム》で展覧会をするのは、けっこうしんどかったのでは? 昨年、この企画がある事をデザイナー(展覧会の企画者)M氏からうかがった時、正直、そう思わずにいられなかった。
しかし3月11日の東日本大震災後、テーマを「大きく+絞り込めた」のでは、と想像できるが、サブタイトル《戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン》に読み取れるのは偶然か。(図録の八束氏による巻頭文冒頭に、そのことに触れている)
日本には本格的な建築・デザインに関するミュージアムが無い。
なので、貴重な図面や模型がアーカイブされる機会を逸していて、問題になりつつある。
世界に誇る日本建築の歴史と、近現代の建築設計と技術が、総合的なかたちでに残らず、特に近現代の図面などが海外流出の危機にさらされるのを聞くと、今回のような展覧会でその重要な資料をまとめ、価値を位置づけ、視覚化する作業は極めて貴いことだ。
などとブログとしてはやや硬く書くのは、展覧会内容があまりにも身近で、自分が受けてきたデザイン教育とも密接に位置するので、単なる経験談や思い出話になりそうだったことから・・・
展覧会は丹下の「広島ピースセンター」写真からスタート。(僕は未訪だ)
都市の、想像を絶する一瞬の破壊の地に建つ建築からスタート。これは重い。
破壊、そこからの生命的な復興が、メタボリズム(新陳代謝)ということか。
僕の勤める東博・本館は1938年(昭和13年)開館なのだが、本展覧会はその直後からの、日本発の建築運動のながれをたどる、ということになる。それが展覧会冒頭の大きな黒い壁面に、年表式にプレゼンされている。
で、あとは模型とオリジナルのスケッチ・図面・走り書きメモ、映像や図書、資料展示。
これがいまアーカイブされないと、散逸(あるいは海外流出)するんだろうなぁ。
メタボリズムをリードした丹下、大高、磯崎、菊竹、黒川、槙、粟津、栄久庵の名は、間接的には僕も仕事で関わっている名だ。(あまりに御大すぎて、かなり遠くだけど)
建築/プロダクト/グラフィック/サイン/照明/展示/環境・・・それがどうも〈都市〉となると、とたんにマンガっぽく滑稽に見えてくるのは何故だろう。
かろうじて結実したのが、『1970年大阪万博』(僕は5才で経験)で、要するに博覧会都市的な造形で、いまのお台場や幕張のような都市造形か。と見るのは浅い読み方なのかな。
展示されたいくつかのプロジェクト案のなかで、もっとも美しく、現実的な解決に思えたのは、槙文彦『代官山ヒルサイドテラス』だろう。そして特に展示にはないけど、ここ森美術館のある『六本木ヒルズ』と思わせる事に妙に納得。
森ビルは『アークヒルズ』の街づくりで、サントリーホールやTV朝日を作ったものの、商業ゾーンと下町的にぎわいづくりに失敗。夜は閑散としていた。それが『六本木ヒルズ』の計画時のにぎわい演出につながっている。
この“したまち的要素”を都市計画に盛り込む手法って、これが難しいんだよなぁ。
東博と美術館群と、アメ横や鴬谷を同時に考えるような、じつは『art-link上野−谷中』のコンセプトの原点なのだが・・・
★メタボリズム展で気になったプロジェクト(展示に無いもの含む)
丹下健三/GK設計:新宿都庁プロジェクト周辺サイン計画
丹下健三/岡本太郎:大阪万博
磯崎 新/水戸芸術館のタワー
菊竹清訓/江戸博、九州国立博物館の建築
黒川紀章/石井幹子:ディスコティック・スペース・カプセル
粟津 潔/トータルメディア:江戸東京博物館の展示計画
浅田 孝/こどもの国
高松次郎
福田繁雄/大阪万博ポスター
★展覧会で多様に使用されていたディスプレイやプロジェクタ、上手い!
・壁付けのディスプレイは、コード類は一切見せない。見事仮設壁に仕込んでいる。
・天井付けディスプレイの納め方。計算されつくして照射面。
・床置の壁面への反射型プロジェクタ装置(シャープNEC製)のシステムは何だろう?
これが一番気になった。
★都市計画は、マクロからミクロまでの経済や、政治の動き、みずからの設備面での更新に左右される。いま残したい建築のこと、、なぜか『東京オリンピック国立屋内総合競技場』を思った。うちのマンションもちゃんと手入れして残したいきたいものだ。
いま分厚くて重い図録を見ながら、色んな事をわりと複雑に考え中。
以下は展覧会後のつぶやき。
★《メタボリズム》で展覧会をするのは、けっこうしんどかったのでは? 昨年、この企画がある事をデザイナー(展覧会の企画者)M氏からうかがった時、正直、そう思わずにいられなかった。
しかし3月11日の東日本大震災後、テーマを「大きく+絞り込めた」のでは、と想像できるが、サブタイトル《戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン》に読み取れるのは偶然か。(図録の八束氏による巻頭文冒頭に、そのことに触れている)
日本には本格的な建築・デザインに関するミュージアムが無い。
なので、貴重な図面や模型がアーカイブされる機会を逸していて、問題になりつつある。
世界に誇る日本建築の歴史と、近現代の建築設計と技術が、総合的なかたちでに残らず、特に近現代の図面などが海外流出の危機にさらされるのを聞くと、今回のような展覧会でその重要な資料をまとめ、価値を位置づけ、視覚化する作業は極めて貴いことだ。
などとブログとしてはやや硬く書くのは、展覧会内容があまりにも身近で、自分が受けてきたデザイン教育とも密接に位置するので、単なる経験談や思い出話になりそうだったことから・・・
展覧会は丹下の「広島ピースセンター」写真からスタート。(僕は未訪だ)
都市の、想像を絶する一瞬の破壊の地に建つ建築からスタート。これは重い。
破壊、そこからの生命的な復興が、メタボリズム(新陳代謝)ということか。
僕の勤める東博・本館は1938年(昭和13年)開館なのだが、本展覧会はその直後からの、日本発の建築運動のながれをたどる、ということになる。それが展覧会冒頭の大きな黒い壁面に、年表式にプレゼンされている。
で、あとは模型とオリジナルのスケッチ・図面・走り書きメモ、映像や図書、資料展示。
これがいまアーカイブされないと、散逸(あるいは海外流出)するんだろうなぁ。
メタボリズムをリードした丹下、大高、磯崎、菊竹、黒川、槙、粟津、栄久庵の名は、間接的には僕も仕事で関わっている名だ。(あまりに御大すぎて、かなり遠くだけど)
建築/プロダクト/グラフィック/サイン/照明/展示/環境・・・それがどうも〈都市〉となると、とたんにマンガっぽく滑稽に見えてくるのは何故だろう。
かろうじて結実したのが、『1970年大阪万博』(僕は5才で経験)で、要するに博覧会都市的な造形で、いまのお台場や幕張のような都市造形か。と見るのは浅い読み方なのかな。
展示されたいくつかのプロジェクト案のなかで、もっとも美しく、現実的な解決に思えたのは、槙文彦『代官山ヒルサイドテラス』だろう。そして特に展示にはないけど、ここ森美術館のある『六本木ヒルズ』と思わせる事に妙に納得。
森ビルは『アークヒルズ』の街づくりで、サントリーホールやTV朝日を作ったものの、商業ゾーンと下町的にぎわいづくりに失敗。夜は閑散としていた。それが『六本木ヒルズ』の計画時のにぎわい演出につながっている。
この“したまち的要素”を都市計画に盛り込む手法って、これが難しいんだよなぁ。
東博と美術館群と、アメ横や鴬谷を同時に考えるような、じつは『art-link上野−谷中』のコンセプトの原点なのだが・・・
★メタボリズム展で気になったプロジェクト(展示に無いもの含む)
丹下健三/GK設計:新宿都庁プロジェクト周辺サイン計画
丹下健三/岡本太郎:大阪万博
磯崎 新/水戸芸術館のタワー
菊竹清訓/江戸博、九州国立博物館の建築
黒川紀章/石井幹子:ディスコティック・スペース・カプセル
粟津 潔/トータルメディア:江戸東京博物館の展示計画
浅田 孝/こどもの国
高松次郎
福田繁雄/大阪万博ポスター
★展覧会で多様に使用されていたディスプレイやプロジェクタ、上手い!
・壁付けのディスプレイは、コード類は一切見せない。見事仮設壁に仕込んでいる。
・天井付けディスプレイの納め方。計算されつくして照射面。
・床置の壁面への反射型プロジェクタ装置(
これが一番気になった。
★都市計画は、マクロからミクロまでの経済や、政治の動き、みずからの設備面での更新に左右される。いま残したい建築のこと、、なぜか『東京オリンピック国立屋内総合競技場』を思った。うちのマンションもちゃんと手入れして残したいきたいものだ。
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