★『生誕100年 岡本太郎展』@東京国立近代美術館 [展覧会・アートイベント etc.]
★午後から仕事を休む。
『 生誕100年 岡本太郎展』@東京国立近代美術館の内覧会へ。
そういえば東近美の内覧会って初めてだ。
その初めて、が太郎の回顧展とは・・・芸術的だ。
今日は、岡本太郎の「油画」を見に行った。
ごく初期:二十代から三十代にかけての絵肌をよく見たかった。
油画技法は詳しくないが、30年代〜40年代の太郎の絵は、
全体に透明感があり、薄い層の部分とタッチで絵の具をのせた部分によって、
あの『傷ましき腕』(1936/49)は、確かな描写力で描き起こされている。
ちょっと目が痛くなるほど、太郎のタッチを追って脳に焼き付けた。。
左:チラシ 右:図録
『森の掟』は想像以上にスゴかった。
あの赤い、体幹を捩りつつ、内部をチャックで封じる怪物。
その「目」の中には、白くうごめくようなタッチで、精密に瞳が描かれていた。
これは画集では絶対に見えないから、実物で確かめねばならない。
白い絵の具が震えるような赤い怪物の目つき、
3匹の闇に潜む獣の色彩は決して濁っていない。
これを描く腕力が、岡本太郎という画家には確かにあったのだ。
◆“縄文土器”の写真のコーナーを過ぎて、
ちょうど『太陽の塔』のところまで来たところで、
磯崎 新さんの姿を見かけた。
言うまでもなく、故丹下健三の下で働いたスタッフの当事者である。
大阪万博の大きなグラフィック壁面写真の前で、
「太陽の塔」関連映像をしみじみ!?と眺めて、連れの方に語っていた。
大阪万博当時、あの国民的祝祭に5才の僕も参加していたはず。
現在の日本のデザイン界は、大阪万博で爆発したエネルギーが、
まだ続いているといっていい・・その余熱の中で僕も仕事をしている。
さすがに今の若い世代のデザイナーはそんなこと考えもしないだろうが・・・
◆さらに進んで絵を見る。
若い頃の絵肌に比べて、70年代以降、80年代の油画は、悲しいほどに荒い。
特に「黒」がよくない。
ピカソも黒を使って、色彩感覚の評価を拒もうとするが、それでも若い頃の絵は、
その「黒」が美しく陰影をともなって感ぜられるように思える。
丹下健三との、静かな対決の中で「芸術」が存在していた頃の仕事は輝いているが、
その後はもはや・・・僕がえらそうにいうことではないし。
☆ちなみに、45才の時の太郎さんは、
丹下健三と旧都庁舎にあった壁画制作の仕事に取り組んでいた。
『 生誕100年 岡本太郎展』@東京国立近代美術館の内覧会へ。
そういえば東近美の内覧会って初めてだ。
その初めて、が太郎の回顧展とは・・・芸術的だ。
今日は、岡本太郎の「油画」を見に行った。
ごく初期:二十代から三十代にかけての絵肌をよく見たかった。
油画技法は詳しくないが、30年代〜40年代の太郎の絵は、
全体に透明感があり、薄い層の部分とタッチで絵の具をのせた部分によって、
あの『傷ましき腕』(1936/49)は、確かな描写力で描き起こされている。
ちょっと目が痛くなるほど、太郎のタッチを追って脳に焼き付けた。。
左:チラシ 右:図録
『森の掟』は想像以上にスゴかった。
あの赤い、体幹を捩りつつ、内部をチャックで封じる怪物。
その「目」の中には、白くうごめくようなタッチで、精密に瞳が描かれていた。
これは画集では絶対に見えないから、実物で確かめねばならない。
白い絵の具が震えるような赤い怪物の目つき、
3匹の闇に潜む獣の色彩は決して濁っていない。
これを描く腕力が、岡本太郎という画家には確かにあったのだ。
◆“縄文土器”の写真のコーナーを過ぎて、
ちょうど『太陽の塔』のところまで来たところで、
磯崎 新さんの姿を見かけた。
言うまでもなく、故丹下健三の下で働いたスタッフの当事者である。
大阪万博の大きなグラフィック壁面写真の前で、
「太陽の塔」関連映像をしみじみ!?と眺めて、連れの方に語っていた。
大阪万博当時、あの国民的祝祭に5才の僕も参加していたはず。
現在の日本のデザイン界は、大阪万博で爆発したエネルギーが、
まだ続いているといっていい・・その余熱の中で僕も仕事をしている。
さすがに今の若い世代のデザイナーはそんなこと考えもしないだろうが・・・
◆さらに進んで絵を見る。
若い頃の絵肌に比べて、70年代以降、80年代の油画は、悲しいほどに荒い。
特に「黒」がよくない。
ピカソも黒を使って、色彩感覚の評価を拒もうとするが、それでも若い頃の絵は、
その「黒」が美しく陰影をともなって感ぜられるように思える。
丹下健三との、静かな対決の中で「芸術」が存在していた頃の仕事は輝いているが、
その後はもはや・・・僕がえらそうにいうことではないし。
☆ちなみに、45才の時の太郎さんは、
丹下健三と旧都庁舎にあった壁画制作の仕事に取り組んでいた。
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