★ 芸術は可能か? [展覧会・アートイベント etc.]
★ 六本木クロッシング2010展:芸術は可能か? ―明日に挑む日本のアート―
日曜日夕方、森美術館へ向かう。
友人のインディペンデント・キュレーター、 窪田研二が、
今回の、この展覧会のキュレーションを行なっている。
※本展のキュレーター・チームとして、他に
木ノ下智恵子(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任講師)
近藤健一(森美術館アソシエイト・キュレーター)が共同で担当、とのこと。
★展示空間の粗密感に違和感を覚えるところもあったが、
前回までとは確かに違うコンセプトだった。
帰宅してから図録を読む、窪田研二のテキスト。
現代(美術)の表現者にとっての立ち位置、について・・・刺激的だなぁ。。。
“アートバブル”がはじけた後の、2010年代の初めである今の立ち位置を、
どのようにとらえるべきか、アーティストをピックアップする過程で、
キュレーター・チームでずいぶん議論したらしい。
このあたりの考え方、コンセプトは、
僕自身がなかなかついていっていない気がする、、、
むしろ、すでに逆行しているのかも、とさえ少し感じたのだが、
それはそれで安心感もあるような気も、オイオイ///
HITOTZUKI (Kami+Sasu) http://www.hitotzuki.com/
鈴木ヒラク http://www.wordpublic.com/hiraku/index.html
※この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利・改変禁止2.1日本」ライセンスでライセンスされています。
“立ち位置”について、「芸術は可能か?」という、
ダムタイプの故・古橋悌二の言葉/問いをひいているのだが、
そもそもダムタイプを理解できない僕にとっては、
この言葉がなんだかピンと来ない。。
それでもこの展覧会が提示している、現代の世界のイメージは、
存分に、充分に伝わってきた。
なにかの関連イベントに合わせて行ったほうがいいなぁ・・・
7月4日(日)まで
オススメです!
★もはやアートがメディアやパフォーマンスの“クロッシング”であることは自明で、
もっと政治・宗教・民族・戦争・都市・環境・・・という概念や現実との、
“クロッシング”しなければならないのでは?
というステージでの『芸術は可能か?』ということを窪田は問うているようだ。
日曜日夕方、森美術館へ向かう。
友人のインディペンデント・キュレーター、 窪田研二が、
今回の、この展覧会のキュレーションを行なっている。
※本展のキュレーター・チームとして、他に
木ノ下智恵子(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任講師)
近藤健一(森美術館アソシエイト・キュレーター)が共同で担当、とのこと。
★展示空間の粗密感に違和感を覚えるところもあったが、
前回までとは確かに違うコンセプトだった。
帰宅してから図録を読む、窪田研二のテキスト。
現代(美術)の表現者にとっての立ち位置、について・・・刺激的だなぁ。。。
“アートバブル”がはじけた後の、2010年代の初めである今の立ち位置を、
どのようにとらえるべきか、アーティストをピックアップする過程で、
キュレーター・チームでずいぶん議論したらしい。
このあたりの考え方、コンセプトは、
僕自身がなかなかついていっていない気がする、、、
むしろ、すでに逆行しているのかも、とさえ少し感じたのだが、
それはそれで安心感もあるような気も、オイオイ///
HITOTZUKI (Kami+Sasu) http://www.hitotzuki.com/
鈴木ヒラク http://www.wordpublic.com/hiraku/index.html
※この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利・改変禁止2.1日本」ライセンスでライセンスされています。
“立ち位置”について、「芸術は可能か?」という、
ダムタイプの故・古橋悌二の言葉/問いをひいているのだが、
そもそもダムタイプを理解できない僕にとっては、
この言葉がなんだかピンと来ない。。
それでもこの展覧会が提示している、現代の世界のイメージは、
存分に、充分に伝わってきた。
なにかの関連イベントに合わせて行ったほうがいいなぁ・・・
7月4日(日)まで
オススメです!
★もはやアートがメディアやパフォーマンスの“クロッシング”であることは自明で、
もっと政治・宗教・民族・戦争・都市・環境・・・という概念や現実との、
“クロッシング”しなければならないのでは?
というステージでの『芸術は可能か?』ということを窪田は問うているようだ。
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