SSブログ

★阿修羅よ・・・   ☆ 花開天下春 [展覧会・アートイベント etc.]

★この1週間考え続けたことは、
 “阿修羅への祈りとは何か。阿修羅へ至る道程を、どう空間化するのか、その光とは”

 さまざまなことが脳の中をかけめぐり、集中力が要求された1週間だった。
 気力/体力を維持させてくれた一冊の本。
  ↓
『わたしの中の阿修羅』 ひろさちや 佼成出版社
 http://www.koseishop.com/ec/html/products/detail.php?product_id=4782
 わたしの中の阿修羅_7403.jpg

 宗教評論家 ひろさちや氏が、1978年・43歳で著した「阿修羅よ・・・・・・」初版から、26年後に加筆訂正を加えて、2005年に刊行した書だ。
ということは、初版は著者が、今の僕と同年齢の頃刊行したということで、書店で見かけてなんとなく共感を覚え、すぐに求めた。

 まだ第2章「アスラの栄光と没落」の途中を読んでいるところで、展覧会『国宝 阿修羅展』の期間中に読むつもり。(090331〜090607 東京国立博物館平成館にて)
 ↓
 http://www.asahi.com/ashura/
 http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=6113

◉奈良・興福寺の阿修羅像は、
 かつて大学の古美術研修施設から歩いて一番近いお寺だったこともあり、
 散歩がてらに立ち寄った興福寺国宝館で拝観して以来、もう何度見たことだろう。

 阿修羅像は、三面六臂でサンダル履き。
 髪を結い上げ、肩布・腰布をまとってカジュアルな感じだが、
 三対の腕がそれぞれ合掌/腕上げ/バンザイのポーズで、相手を威圧するようにも見える。
  カジュアルでありながら、畏怖の姿勢をとる、
  “ 正義の、そして異形の魔神 ” とでも呼びかければいいのだろうか///

 腕は、普通の一本の場所から三本出るため、かなり細くなる。
 三面のつながり、それぞれの頭部から首へのつながりと、耳の表現が困難なはず。
 美術解剖学的に矛盾をかんじさせず、これほど自然に、
 明確に造形しながら崇高さを保つ秘密は、
 その「あいまいさ」にあるのだと言う。

 光を当てると、その「曖昧な」造形が、微妙に表情を変化させるようだ。
 ヒゲ、を強調する光では、少年に見えた顔が、意外なまでに大人の顔に変わる。
 ある光では、その口髭・顎髭はほとんど見えなくなるのだが・・・


☆昨夜体はくたくた。4時頃まで頭が冴えてしまってテレビ「朝生」見ていたが、
 いつのまにか眠ったよう。昼頃起きて、夕方から稽古へ。

 床の書は、禅語の茶掛。
[ 花 開 天 下 春 ]
 御宗家が半白の時、書した一行書とのこと。
 大名としてのスケールの大きさ、打ち込みの強さに気迫が漲っているようだ。

 茶杓の歌銘は
〔 ささ浪や志賀の都は荒れにしを
         昔ながらの山桜かな 〕
             千載集 読人不知

  もう3月最終週、椿の季節も終わり。


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

黒猫★☆白蜂

TOPへ★  ↓

黒猫★☆白蜂

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。